改訂新版 世界大百科事典 「ボテフ」の意味・わかりやすい解説
ボテフ
Hristo Botev Petkov
生没年:1848-76
ブルガリアの詩人,民族解放運動家。スターラ・プラニナ山脈南麓の町カロフェルの教師の家に生まれ,オデッサに留学,ロシア文学と革命思想およびフランスの空想的社会主義の影響を受けた。1868年ルーマニアに渡り,ブカレストやブライラでレフスキやカラベロフら民族解放運動家と論説や時評などの文筆活動で民族解放思想を鼓吹するとともに,武装蜂起の準備を推し進めた。76年〈四月蜂起〉が始まるや,蜂起隊を組織し,オーストリアの汽船ラデツキー号を乗っ取ってブルガリアに渡り,オスマン・トルコ軍との激戦のすえ戦死した。《お母さんに》(1867),《悲歌》(1870),《ハジ・ディミトル》《わが祈り》(ともに1873),《バシル・レフスキの処刑》(1875)など,隷従の苦悩と自由の希求を民謡的な形式を用いて歌い上げた詩20編を書き残し,解放後の文学や革命運動に大きな影響を及ぼした。詩は邦訳も含め多くの外国語に訳されている。
執筆者:松永 綠彌
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報