ボテフ(読み)ぼてふ(英語表記)Христо Ботев/Hristo Botev

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボテフ」の意味・わかりやすい解説

ボテフ
ぼてふ
Христо Ботев/Hristo Botev
(1848―1876)

ブルガリア詩人、革命家。蜂起(ほうき)者の根拠地スタラ山地の麓(ふもと)で、教師の父と、伝承民謡に優れた母の間に生まれる。15歳でオデッサ(現、オデーサ)に留学したが、移民の悲惨な生活や革命思想に触れて退学、帰国した。故郷でギリシアやトルコ、ブルガリアの支配階級を非難したため、危険視した村人に追われルーマニアへ行く。1876年、蜂起者200人を率いてドナウ川汽船を乗っ取り、トルコの大軍を撃退したが、作戦会議中敵弾に倒れた。革命家として活躍しながら新聞を発行、雑誌にも論説、批評、詩を載せて民衆啓蒙(けいもう)に努めた。残っている詩はわずか20余編であるが、被搾取者の惨めさとその根源をあらわにし、権力に対する憤り、風刺、革命家の孤独感、愛などを、民族伝承詩の形式を取り入れつつ歌い上げた格調高い叙情詩である。とくに『ハジィ・ディミタル』(1873)は世界革命詩のなかでも珠玉の作とされ、広く愛唱されている。

[真木三三子]

『アレクサンダル・ブールモフ編、真木三三子訳『フリスト・ボテフ詩集』(1976・恒文社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボテフ」の意味・わかりやすい解説

ボテフ
Botev, Hristo

[生]1848.1.5. カロフェル
[没]1876.5.20. ベスレズ山付近
ブルガリアの民族的英雄,詩人。教師の家庭に生れる。 1863~67年ロシアに滞在。オデッサの高等学校在学中に A.ゲルツェン,N.チェルヌイシェフスキーらの著作の影響を受けた。帰国後,オスマン帝国に対する民族独立運動に参加,ルーマニアに亡命。 74年ブルガリア革命中央委員会一員となった。第1インターナショナルの運動を評価し,マルクスの著作を知る。多くの文学作品,評論を発表。 76年四月蜂起を準備し,オスマン帝国軍との戦いで戦死主著に『ハジ・ディミトル』 Hazhi Dimitǎr (1873) ,『歌と詩』 Pesni u stihove (75) などがあり,いくつかの詩は民謡となっている。

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