ポポビッチ(その他表記)Popovich, Pavel Romanovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポポビッチ」の意味・わかりやすい解説

ポポビッチ
Popovich, Pavel Romanovich

[生]1930.10.5. ソビエト連邦,ウジン
[没]2009.9.30. ウクライナ,グルズフ
ソビエト連邦の宇宙飛行士。1951年技術学校を卒業して陸軍に入ったが,すぐ空軍転属。1954年スターリングラード空軍大学を卒業してパイロットとなり,1960年に初代宇宙飛行士候補の一人に選ばれた。1962年8月ボストーク4号に搭乗して地球を 48周し,さらに,宇宙飛行士アンドリアン・G.ニコラエフの搭乗するボストーク3号と史上初のランデブーに成功。両機は 5km以内まで接近した。1974年に宇宙飛行士ユーリ・P.アルチューヒンとともにソユーズ14号に搭乗,軌道科学ステーションのサリュート3号とのドッキングに成功し,地表の調査に携わった。1980~89年ユーリ・ガガーリン宇宙飛行士訓練センターの副センター長を務めた。1982年宇宙飛行士を引退

ポポビッチ
Popović, Koča

[生]1908.3.14. ベオグラード
[没]1992.10.20. ベオグラード
ユーゴスラビアの軍人政治家パリ哲学を学びジャーナリストとなり,1933年共産党加入スペイン内乱に参加。第2次世界大戦でセルビアのパルチザン部隊中央司令官,1945~53年ユーゴ人民軍参謀総長。 1948年党中央委員。 1953~65年外相として非同盟外交の形成と展開に活躍。 1966~69年共和国副大統領。 1971年憲法改正に伴い連邦幹部会員 (いわゆる集団大統領) に就任したが,セルビア民族主義の高まりの責任を取って 1972年 11月に辞任

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポポビッチ」の意味・わかりやすい解説

ポポビッチ
ぽぽびっち
Koča Popović
(1908―1992)

旧ユーゴスラビアの政治家。ベオグラード生まれ。ベオグラード大学卒業。1933年に共産党に加入。スイスフランスに留学後、左翼ジャーナリストとして活躍、スペイン義勇軍にも参加した。1941年以後のパルチザン戦争では主要戦場の師団長として指揮にあたった。1946~1953年人民軍参謀総長、1953~1965年には外相として非同盟外交の形成に参与した。1966~1967年副大統領、1971年連邦幹部会員となったが、連邦内の各共和国の自治制限を加える政策に反対して、1972年辞任した。

木戸 蓊]

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