ポロンナルワ(その他表記)Polonnaruwa

デジタル大辞泉 「ポロンナルワ」の意味・読み・例文・類語

ポロンナルワ(Polonnaruwa)

スリランカ中部の古都。11世紀から13世紀にかけてシンハラ王朝の都が置かれ、12世紀後半のパラクラマブフ1世の時代に盛期を迎え、灌漑かんがい用の貯水池パラクラマサムドラが造られた。旧市街には城壁に囲まれたクワドラングルとよばれる遺跡群があり、仏堂仏塔王宮などが残っている。1982年に「古都ポロンナルワ」の名称世界遺産文化遺産)に登録された。

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改訂新版 世界大百科事典 「ポロンナルワ」の意味・わかりやすい解説

ポロンナルワ
Polonnaruwa

アヌラーダプラと並ぶスリランカの古都。11世紀に侵入した南インドのタミル人を追放して1070年ビジャヤバーフ1世が首都をアヌラーダプラから移し,12~13世紀のパラクラマバーフ1世とニッサンカ・マッラのとき最も栄え,タイやビルマ(現ミャンマー)からも多くの仏教僧が訪れた。人造湖の東に都城址が広がり,王宮跡,ストゥーパを安置する円形のワタダーゲー,蓮茎状の柱が残る建築ニッサンカ・ラター・マンダパヤ,タイの寺院建築との類似が指摘されている7層のサト・マハル・パーサーダ,タミル人の建立になる二つのシバ寺院(11世紀)などがある。また都城の北方の巨大な仏立像を祭ったランカーティラカ寺涅槃像(長さ約14m)や仏弟子アーナンダ立像(高さ約7m)などの磨崖仏があるガル・ビハーラ,13世紀の壁画が残るティバンカ・ピリマゲ寺,さらに都城の南のパラクラマバーフ1世の肖像といわれる磨崖像などが重要である。これらはいずれも12世紀後期を中心とする最盛期の遺品で,東南アジアの美術にも多大の影響を及ぼした。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポロンナルワ」の意味・わかりやすい解説

ポロンナルワ
ぽろんなるわ
Polonnaruwa'

スリランカ中部の古都。11~13世紀にシンハラの王都として栄え、パラクラマブフ1世(在位1153~86)の時代には、シンハラ文化の中心地となり灌漑(かんがい)用貯水地や用水路も建設された。13世紀末には廃都となったが、20世紀以後遺跡の発掘が行われた。石立像、王宮跡、ワタダゲ(円形仏堂)、ガル・ビハーラ(仏教寺院跡)など、古代仏教文化の遺跡が比較的完全な形で保存され観光地となっている。1982年には世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。

[吉野正敏]


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百科事典マイペディア 「ポロンナルワ」の意味・わかりやすい解説

ポロンナルワ

スリランカの中東部にある古都。シンハラ王朝第二の都で1017年から1255までシンハラ王朝の首都であった。パラークラマバーフ1世時代には黄金期を迎え,灌漑(かんがい)施設の充実により乾季でも農耕を可能にしたり,灌漑用貯水池を建設し,首都は自給自足の体制を確立した。ガル・ビハーラ寺院には,国内最大の石造りの涅槃仏やアーナンダの石像がある。1982年世界文化遺産に登録。

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世界大百科事典(旧版)内のポロンナルワの言及

【スリランカ美術】より

…全時代を通じて仏教美術が優勢であり,中世以降南インドからの移住民によりヒンドゥー教美術も行われた。造形活動の中心地は前4世紀から1000年以上首都であったアヌラーダプラ,それに続いて12世紀を中心に繁栄したポロンナルワであり,遺構もそれらの周辺に多い。
[建築]
 建築は仏教やヒンドゥー教の宗教建築のほかに,王宮などの世俗建築もある。…

※「ポロンナルワ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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