マカロフ(その他表記)Stepan Osipovich Makarov

デジタル大辞泉 「マカロフ」の意味・読み・例文・類語

マカロフ(Stepan Osipovich Makarov)

[1849~1904]ロシア提督砕氷船イェルマーク設計し北氷洋遠征を行った。日露戦争に際し、太平洋艦隊司令長官となり、旅順港外で戦死

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「マカロフ」の意味・読み・例文・類語

マカロフ

  1. ( Stjepan Osipovič Makarov ステパン=オシポビチ━ ) ロシアの軍人、提督。日露戦争中、ロシア太平洋艦隊司令長官として旅順港外で戦死した。(一八四九‐一九〇四

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「マカロフ」の意味・わかりやすい解説

マカロフ
Stepan Osipovich Makarov
生没年:1849-1904

ロシアの提督。日露戦争開戦直後,旅順を根拠地とするロシア太平洋艦隊司令官に任命された。マカロフは3月はじめ旅順へ着任したが,彼の着任は,日本海軍に対して劣勢であったロシア艦隊の士気戦力を高めた。艦隊の戦闘準備をすすめていたが,4月初め,機雷にふれて乗艦ペトロパブロフスク〉が沈没し,戦死した。海事に関するいくつかの学術的著作もある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マカロフ」の意味・わかりやすい解説

マカロフ
Makarov, Stepan Osipovich

[生]1849.1.8. ニコラエフ
[没]1904.4.13.
ロシアの軍人,提督。海軍士官として太平洋,バルト海,黒海艦隊などに勤務するかたわら,2度の世界周航を行い,露土戦争 (1877~78) では初めて魚雷を用い,北氷洋では砕氷船『エルマク』号を建造して探検するなど,ロシア海軍の強化と海洋学の発展に貢献した。 1897年バルチック艦隊,99年クロンシタット軍港の司令長官を経て,日露戦争に際しロシア太平洋艦隊長官に任じられ,旗艦『ペテロパウロフスク』が旅順港外で敷設水雷に触れて沈没したのと運命をともにした。航海造船学,地理学などに関する著作多数を残した。

マカロフ
Makarov

ロシア,サハリン州の港湾都市。サハリン島中南部東岸,テルペニエ湾にのぞむ。パルプ・製紙,水産加工などの工場が立地し,付近には炭田がある。州都ユジノサハリンスクの北約 200kmにあり,鉄道,ハイウェーで連絡。旧日本領で,日本名知取 (しるとる) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マカロフ」の意味・わかりやすい解説

マカロフ
まかろふ
Степан Осипович Макаров/Stepan Osipovich Makarov
(1849―1904)

ロシアの提督。ロシア・トルコ戦争(1877~78)における魚雷作戦、二度にわたる世界一周航海(1886~89、94~96)、砕氷船「イェルマーク」の設計と同船による北氷洋遠征で知られ、海洋学に造詣(ぞうけい)の深い名将とされた。日露戦争開始後、太平洋艦隊司令長官として旅順防衛を指導したが、機雷により沈没した旗艦ペトロパブロフスクと運命をともにした。

[原 暉之]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「マカロフ」の解説

マカロフ

生年月日:1849年3月8日
ロシアの提督
1904年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android