改訂新版 世界大百科事典 「マジュラニッチ」の意味・わかりやすい解説
マジュラニッチ
Ivan Mažuranić
生没年:1814-90
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…ユーゴスラビア,クロアチア人の間で行われた1830,40年代の民族主義運動,民族再生運動。当時南スラブ人はイリュリア人の後裔と考えられていたため,この名が用いられた。封建時代から資本主義時代への移行期における商業の隆盛と,インテリゲンチャの増大が背景として考えられるが,運動の発生をうながしたのはフランス革命が広めた諸理念と,スロバキア人J.コラールやシャファーリクなどが唱えていたパン・スラブ主義である。…
…42年には半月と明星をあしらった紋章も生まれた。論文《デセルタツィア》を書いて新思想に賛同したドラシュコビッチJanko Drašković伯(1770‐1856),叙事詩《スマイル・アガ・チェンギッチの死》でシュト方言の傑作をものしたマジュラニッチIvan Mažuranić(1814‐90)など,《明星》に当時ほとんどのクロアチア作家,愛国者が結集。42年にはマティツァ・イリュリスカが設立されて出版活動が始められた。…
…これによって民衆の言葉が簡潔で力強い文語として成立し,後代に計り知れない影響を与えた。また1850年にはI.マジュラニッチなどとウィーンで〈文語協定〉を結び,セルビア人とクロアチア人は同一の文語を持つことを確認した。【田中 一生】。…
…
[近代文学の展開]
19世紀のロマン主義がまず各民族の自覚を促すと,いまなお人々に愛誦される佳作がいくつか生まれた。クロアチア人のガイが主唱するイリュリア運動に参加したマジュラニッチは,トルコ人の非人間性を描いた叙事詩《スマイル・アガ・チェンギッチの死》(1846)を発表し,〈スロベニアのプーシキン〉といわれたプレシェレンは愛国的な抒情詩《ソネットの花環》(1834)を,モンテネグロの聖俗界に君臨したニェゴシュ(ペータル2世)はオペラ形式の英雄叙事詩《栄光の山並み》(1847)を完成した。当時ウィーンにあってセルビア人の口承文芸を収集・刊行していたカラジッチは,大胆にセルビア語を簡素化した。…
※「マジュラニッチ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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