改訂新版 世界大百科事典 「マセイス」の意味・わかりやすい解説
マセイス
Quinten(Quentin) Massys
生没年:1465か66-1530
フランドルの画家。Matsys,Matsijs,Metsys,Metsijsとも綴る。ルーバン生れ。1491年アントウェルペン(アントワープ)で自由親方として登録。本格的な制作活動の記録は〈聖アンナの祭壇画〉(1507-09)以降である。彼の宗教画の人物はドラマティックな表情に富み,ボスを思わせる怪奇で残虐な人物をも得意とした。他方聖母子の表現にはレオナルド・ダ・ビンチのスフマート(煙の消えるごとく柔らかな陰影)の影響を示す。また人物中心の構図にイタリア風な古典建築の要素を巧みに導入。人文主義者エラスムスやエギディウスP.Egidiusそのほか数多く市民の肖像画を制作し,一瞬の表情をとらえるのを特技としていた。1520年デューラーがマセイスのもとを訪れ,当時のもっとも著名な画家として言及している。事実マセイスは15世紀フランドル絵画の伝統のよき継承者でありながら,同時代のイタリア・ルネサンス絵画に鋭い関心を示した,アントウェルペン・マニエリスムの先駆的存在といえる。2度の結婚で13人の子どもを得,そのうちヤンJan M.(1509ころ-?)は宗教画,コルネリスCornelis M.(1511ころ-?)は風景画に優れた才能を示した。
執筆者:森 洋子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報