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ムラカ王国 ムラカおうこく

世界大百科事典 第2版の解説

ムラカおうこく【ムラカ王国】

1400年ころから1511年までマレー半島南端近くのムラカMelaka(マラッカMalacca)を中心に栄えたマレー人の王国。マラッカ王国ともいう。マレー半島には古くから中国とインドを結ぶ交通路があり,そのために数多くの王国が興亡した。ムラカにも古く都市,もしくは王国があったことは確かであるが,詳しいことはわかっていない。 14世紀末,おそらく1390年ころスマトラ島のパレンバン出身のパラメシュバラがマレー人を従えてムラカに定住し,ムラカ王国を建てた。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のムラカ王国の言及

【大航海時代】より

…1400年ころから1650年ころまでの,ヨーロッパ人による海外進出が始まり,新旧両大陸におけるその勢力範囲が確定した時期をさす。〈地理上の発見〉の時代とも呼ぶ。
[背景]
 1300年ころの西ヨーロッパはビザンティン帝国支配下の地中海東部地域,マムルーク朝支配下の西アジア,エジプトに対して金,銀,銅,奴隷などを輸出し,絹織物などの手工業製品,香料などの東方の産物を輸入していた。この地中海東部地域を起点として地中海を西に向けて横断し,ジブラルタル海峡から大西洋に出て,ヨーロッパ大陸の海岸に沿って北上し,バルト海に入ってロシアに到達する海上貿易ルートが西ヨーロッパの国際経済の大動脈であった。…

【パラメシュバラ】より

ムルカ王国の建設者。14世紀後半におそらくスマトラ島のパレンバンの王族,もしくは貴族の子として生まれたらしい。1380年ころジャワ島のマジャパイト王国がパレンバンを攻撃した際に同地を逃れ,90年ころマレー半島南端近くのマラッカに移り,ここでマラッカ王国を建てたものと考えられる。彼の存在が確実に知られるのは1405年が最初で,当時この地域を訪れた明の鄭和(ていわ)の艦隊との接触を通じて中国の朝貢国となり,11年にはみずから中国を訪れている。…

【マレーシア】より

… 東マレーシアではイバン族は特別の権利を認められているが,教育を通じてのマレー化は積極的に推進され,多数のマレー人教師が送り込まれている。
【歴史】

[ムラカ・ジョホール王国とその分裂]
 現在のマレーシアの起源は14世紀の末にムラカ(マラッカ)に成立したムラカ王国にさかのぼることができる。ムラカ王国は東南アジア地域とインド洋地域を結ぶ中継貿易地として繁栄した。…

※「ムラカ王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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