ムチャーリ(読み)むちゃーり(英語表記)Oswald Mbuyiseni Mtshali

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ムチャーリ」の意味・わかりやすい解説

ムチャーリ
むちゃーり
Oswald Mbuyiseni Mtshali
(1940― )

南アフリカ共和国、ズールー・ランド出身の詩人。1955年にヨハネスバーグに出て、大学入学許可証を取得したが、アパルトヘイト法のため希望のウィツウォータズランド(ウィトワーテルスランド)大学から入学を拒否され、人種差別の理不尽さを痛感した。母の死もあって進学をあきらめ、メッセンジャーボーイなどの仕事をしながら詩を書き、文芸誌『クラシック』や『パプル・レノスター』などに寄稿し、その後『ランド・デイリー・メイル』紙のコラムニストになった。1975年にアメリカに渡り、アイオワ大学コロンビア大学に留学。79年に帰国後は、黒人ロケーション(居住区)のソウェトに住み、日刊紙『スター』の芸術批評欄を担当し、のちアメリカ資本のペイス商業カレッジ副校長を務めた。1987年にアメリカ資本が南アフリカから撤退したため、このカレッジが白人政府直轄校になることになったが、ムチャーリはこれに反対し、生徒と抗議運動を起こした。運動の渦中負傷、退職した。のちニューヨークに定住し、1998年にコロンビア大学から教育学の博士号を取得した。何度も国際詩祭に招かれて自作詩を朗読し、とりわけ1970年代に黒人意識運動聖典ともなった代表的詩集牛皮ドラムのひびき』(1971)で現代南アフリカ最大の詩人の一人に数えられている。白人の手でつくられ管理される黒人世界の非人間性を、時間、空間のあらゆる断面からとらえ、自ら体験した人種差別の苦悩屈辱を、独特のアイロニーに包んで表現するのがその詩の特徴である。ほかに、ソウェトの蜂起(ほうき)で勇敢に抵抗し散っていったいたいけな子供たちに捧(ささ)げる慟哭(どうこく)と憤怒(ふんぬ)の詩集『火炎』(1980)とソウェトの学童の日記を編集した『僕たちにもチャンスをおくれ!』(1988)などがある。

[土屋 哲]

『土屋哲訳『僕たちにもチャンスをおくれ!』(1991・潮出版社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムチャーリ」の意味・わかりやすい解説

ムチャーリ
Mtshali, Oswald Mbuyiseni

[生]1940.1.17. 南アフリカ連邦,フライヘイト
南アフリカ共和国の詩人。人種差別のため地元の大学に進学できず,働きながら詩を文芸誌に寄稿する。第1詩集『牛皮のドラムの響き』Sounds of a Cowhide Drum(1971)は,アパルトヘイト下の黒人の経験を鮮烈に形象したもので,非白人詩の新しい時代の到来を告げる革新的なものとされ,黒人意識運動にも深い影響を与えた。その後アメリカ合衆国のコロンビア大学に学び,修士号を取得。1979年帰国し,1987年に再び渡米した。ほかに一時期発禁処分を受けた第2詩集『火炎』Fireflames(1980)がある。(→アフリカ文学南アフリカ文学

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