南アフリカ文学(読み)みなみアフリカぶんがく(その他表記)South African literature

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南アフリカ文学」の意味・わかりやすい解説

南アフリカ文学
みなみアフリカぶんがく
South African literature

かつての南アフリカ連邦,今日の南アフリカ共和国の文学。英語やアフリカーンス語のほか,多数の民族語で表現される。早くから始まったキリスト教伝道の結果,豊富な民族語文学が生み出された。初期の民族語文学で,ほかを圧倒しているのはソト語(→ソト諸族)によるもので,トマスモフォロの『東方への旅人』Moeti oa Bochabela(1907),『シャカ王』Chaka(1925)が知られる。次いで多いのはコーサ語(→コーサ族)によるもので,サミュエル・ムカーイが代表格。小説『双子のケース』(1914)があるほか,詩『人間賛歌』の一節国歌『コシ・シケレリ・アフリカ(アフリカに祝福を)』に引用されている。ズールー語では,ベネディクト・ワレット・ビラカージの歴史小説『ディンギスワヨ』(1939)や詩集ズールーの地平線』(1945)が知られる。初期の英語作品には,ソロモン・チェキショ・プラーイキの『ムーディ――100年前の南アフリカ人の生活の叙事詩』(1930),ロルファス・レジナルド・レイモンド・ドローモの『あるアフリカ人の悲劇』(1928)がある。伝統社会の変容を物語る『ムーディ』はチヌア・アチェベの『部族崩壊』Things Fall Apart(1958)のテーマを先取りしている感があり,『あるアフリカ人の悲劇』は犯罪,飲酒,暴力など都会生活の悪をキリスト教の立場から批判している。
その後,アパルトヘイトの強化とともに人種問題を扱う作品が多くなる。ボーア人アフリカーナー)の侵入期を描く歴史小説『野蛮な征服』Wild Conquest(1950)で知られるピーター・エイブラハムズ,アパルトヘイトに対する抵抗小説を多数書いたアレックス・ラ・グーマ,自伝小説の傑作『わが苦悩の町2番通り――アパルトヘイト下の魂の記録』Down Second Avenue(1959)のエスキア・ムパシェーレのほか,デニス・ブルータス,マジシ・クネーネらの詩人がいた。彼らの多くが亡命した。1976年のソウェト蜂起前後からは,シポ・セパムラ,モンガーン・ウォリー・セローテ,ジャブロ・ンデベレらが活躍,亡命作家とは異なる視点から社会問題を鋭くえぐった。女性作家では,ボツワナへ亡命したベッシー・ヘッド,ロレタ・ンゴボ,ミリアム・トラーディ,シンディウェ・マゴナ,ゾイ・ウィカム,チナ・ムショーペらが知られる。彼女たちの作品の多くはジェンダーの視点が貫かれている。このほか『農場物語』(1883)を書いたオリーブ・シュライナーからノーベル文学賞受賞作家のナディン・ゴーディマへと続く白人女性作家の文学伝統,アンドレブリンク,ブレイテン・ブレイテンバッハを代表格とするアフリカーナーによるアフリカーンス語による文学伝統も無視できない。(→アフリカ文学

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