マネトンの《エジプト史》(前3世紀)により,古代エジプト第1王朝の始祖とされる王。在位,前2950年ころ(一説では前3100ころ)。上エジプト王国の王で,下エジプトを征服して王国統一を実現したと伝えられる。ヘロドトスの《歴史》ではミンMinと記され,上・下エジプトの境界近くに統一国家の新都〈白い壁〉(のちのメンフィス)を建設し,上流に築いた堤防で河流を変え,増水の害から町を守ったとされる。同時代史料のどの王にあたるかについては論争があり,古くは有名な化粧板(パレット)に下エジプトの征服者として現れるナルメルNarmer王とする説が有力であったが,近年ではメンフィスの墓地サッカラに最初の大王墓を造営した次王アハAhaとする説がヘロドトスの伝承に合致するとして有力である。また建国に功績のあった複数の王が1人の王に伝説化したとの説もある。アハ王の治績にはヌビア遠征によるナイル川第1急湍(きゆうたん)以北の確保,デルタのサイスでのネイト神殿の建立,ビュブロスからの杉材輸入がある。マネトンによれば,メネスは在位62年でカバに殺されたという。
執筆者:屋形 禎亮
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生没年不詳。古代エジプトを初めて統一した王(前3000ころ在位。異説あり)。ナルメルNarmerという名の王と同一人とみられる。ナルメルの名は有名な「ナルメルのパレット」に、メネスの名はアビドスの王名表とトリノのパピルスに記されている。統一事業は上(かみ)エジプトのサソリ王によって開始され、デルタ地帯の近くまでが統一された。たぶんメネス王はその後継者として即位した。上エジプトのティス(アビドス付近に比定される)に都を置く彼は、下(しも)エジプトを全面的に征服し(その模様は「ナルメルのパレット」に図示されている)、全エジプトを統一した。また、下エジプトの統治拠点としてデルタ地帯の南端に第二王都「白い城」を築いた。これはのちに古代エジプトの首都メンフィスとなった。
[酒井傳六]
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前3000年頃,古代エジプトを初めて統一した伝説上の王。王名表にはメニと記されている。上エジプト出身で下エジプトを征服した第1王朝初代の王ナルメルがこの王にあたると考えられる。王の業績を描いたナルメル王のパレットは特に有名。
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…この王朝区分は現代においても踏襲されているが,王権の強弱(同時に文明の水準の高低)に対応して,古王国・中王国・新王国の各時代,それらにはさまれた第1・第2中間期,および興隆期(初期王朝時代)と衰退期(末期王朝時代)の7期にまとめられている。
[初期王朝時代]
マネトンによればメネスという名のティニス出身の上エジプト王が下エジプトを征服して第1王朝を開き,新都メンフィスを建設したという。王国の最終的統一以前にも〈さそり〉王など下エジプトを征服した上エジプト王がいたことはゲルゼ文化末期の奉納用大型化粧板の浮彫などから知られており,ゲルゼ文化のデルタへの浸透はこの過程に対応すると考えられる(〈原王朝〉)。…
※「メネス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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