エジプト中部のナイル西岸にあり,古代エジプトのオシリス信仰の中心地として栄えた遺跡。元来は上エジプト第8ノモスの州都ティニスの墓地として,ティニスから出て上・下エジプトを統一した王家の墓地が営まれた(先王朝時代末期より初期王朝時代)。墓地の守護神はケンティアメンティウ(西方の第一人者)であったが,古王国後半以降のオシリス信仰の興隆によって,故王がオシリスに変容するという教義が確立すると共にオシリスと同一視され,オシリス信仰の総本山となった。第1中間期の〈葬祭の民主化〉により,王以外でも必要な準備さえ整えれば,死後オシリスとなって至福の永生を獲得できるとの信仰が広まると,オシリスの死と埋葬と復活を再現する受難劇は毎年エジプト中から多くの巡礼を集め,すべてのエジプト人はアビドスに埋葬されるか,少なくも供養碑を奉納したいと願った。王は第2の墓(セノタフ=空墓(からばか))と王墓の葬祭殿にあたる神殿とを建立した。遺跡は中央の墓地をはさんで,北のオシリス神殿,南の空墓群に分かれ,墓地は古代よりの盗掘で損傷著しいが,1899-1903年のピートリーの発掘をはじめ調査がくり返され,初期王朝時代の泥章・小牌・石碑,中王国時代の供養碑など重要史料が発見されている。オシリス神殿は完全な廃墟であるが,空墓のうちセティ1世建立のもの(オシレイオンとよぶ)とその神殿,ラメセス2世建立の神殿は,建築プランと壁面の彩色浮彫を比較的よく保存している。
執筆者:屋形 禎亮
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ナイル川の左岸、テーベの下流約300キロメートルに位置する、古代エジプトの聖地。初期王朝時代(前3100ころ~前2686ころ)にすでに地域神の聖地とみなされていたが、復活と永生の神オシリスOsirisの信仰がピラミッド時代(前2686ころ~前2181ころ)に王家の宗教となってから、この地の重要性は飛躍的に増大した。オシリスはこの地に葬られたと神話は述べていたからである。以後、歴代の諸王はここに墓、神殿、記念碑を築き、アビドス巡礼は王の義務となった。
考古学上の発掘調査は、19世紀以来頻繁に行われている。ギゼーの大ピラミッドの建造者クフ王の現存唯一の彫像は、ここでイギリスのピートリー(ペトリー)によって発見された。セティ1世神殿、ラムセス2世神殿などがいまもみられる。
[酒井傳六]
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…このような長方形の台形の墓をマスタバと呼ぶ。アビドスの王墓では単純なマスタバの前面に1対の石碑と供物台が置かれ,全体を取り囲む周壁がめぐらされていた。マスタバの壁面に二つのニッチが設けられ,あるいはそこに〈偽扉false door〉がつけられることもある。…
※「アビドス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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