メムノン(英語表記)Memnōn

改訂新版 世界大百科事典 「メムノン」の意味・わかりやすい解説

メムノン
Memnōn

ギリシア伝説のエチオピア王。曙の女神エオストロイアの王子ティトノスTithōnosの子。トロイア王プリアモスの甥。トロイア軍の総大将ヘクトルの戦死後,援軍を率いてトロイア戦争に参加し,ギリシア軍第2の勇将大アイアスと互角に戦ったあと,老雄ネストルの子アンティロコスAntilochosを討ったが,アキレウスに討ち取られた。その死体は,ゼウスに強請して息子の不死をかちとった母神の手で,戦場から故郷の地へ運ばれたという。エジプトのテーベ近くにあるアメンヘテプ3世の一対の座像(高さ約20m)は,誤って〈メムノンの巨像〉の名で知られてきたが,前27年の地震に遭って以来,朝日にあたると弦の切れるような音を発するようになった。これは母神に対するメムノンの挨拶と解釈されて,旅行者の人気の的であったが,2世紀の末,ここを訪れたローマ皇帝セプティミウス・セウェルスの命により,巨像に修復の手が加えられたとき,音が止んだと伝えられる。
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メムノン(ロドスの)
Memnōn
生没年:前380?-前333

ロドス島出身の軍人アケメネス朝ペルシア帝国末期に小アジアトロアス豪族地位を占め,前336年マケドニア王フィリッポス2世のペルシア遠征先遣隊を敗北させた。アレクサンドロス大王の遠征に対しては,彼の意見が入れられず,グラニコス河畔の戦(前344)でペルシア軍が敗北した後も,海軍力をもってアレクサンドロス遠征の背後を脅かしたが,病死した。彼の妻バルシネは後に大王の妻となった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メムノン」の意味・わかりやすい解説

メムノン
Memnōn

ギリシア神話の英雄。曙女神エオスがトロイ王子ティトノスと交わって生んだ子で,ヘスペリデスたちに育てられ,エチオピア人の王となった。伯父にあたるプリアモス王の要請を受けて,トロイ戦争にトロイ方の援軍として参加し,多くの手柄を立てたが,アンチロコスを打取ったあと,親友であったこの若武者の死に復讐しようとするアキレウスと壮烈な一騎打ちを演じた末に,天上でこの勝負をアキレウスの母のテティスとともに見守るエオスのゼウスへの懸命な嘆願もむなしく,ついにアキレウスに打取られた。彼の死体はエオスによってエチオピアに運ばれ,以後エオスが息子をいたんで流す涙が朝露になるという。

メムノン[ロードス]
Memnōn of Rhodos

前4世紀在世したロードス人。アケメネス朝ペルシアの傭兵隊長として活躍。前 336年マケドニア軍に勝利したが,前 334年のグラニコスの戦いで,アレクサンドロス3世 (大王) 指揮下のマケドニア軍に敗れ逃走。その後,ペルシア軍の総司令官に任命され,ギリシア諸市の反乱を画策したが急死。

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百科事典マイペディア 「メムノン」の意味・わかりやすい解説

メムノン

ギリシア伝説のエチオピア王。ティトノスとエオスの子。トロイア戦争のとき叔父に当たるトロイアの王プリアモスの助勢に駆けつける。アキレウスに殺されたが,ゼウスから永遠の生命を与えられた。エジプト,テーベ近郊の〈メムノンの巨像〉が同王に帰せられていたが,誤伝。

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世界大百科事典(旧版)内のメムノンの言及

【エオス】より

…ランポス(光)とファエトン(輝く者)という名の2頭の馬がひく戦車に乗り,太陽神の先駆けとなって大空をはせる女神は,ホメロスの叙事詩に〈ばら色の指をもてる〉〈サフラン色の衣をまとえる〉女神と歌われている。彼女はまた美男子の狩人オリオン,アッティカの王子ケファロス,トロイア王プリアモスの兄弟ティトノスらを恋人として誘拐したが,ティトノスとのあいだにもうけた子メムノンは,トロイア戦争でアキレウスに討たれた。朝の露は彼の死を悼むエオスの涙であるという。…

※「メムノン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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