精選版 日本国語大辞典 「トロイ戦争」の意味・読み・例文・類語 トロイ‐せんそう‥センサウ【トロイ戦争】 ホメロス作と伝えられる長編英雄叙事詩「イーリアス」に語り継がれた古代ギリシアとトロイの戦争。トロイの王子パリスに奪われたスパルタ王妃ヘレネを奪回するため、アガメムノンを総帥としたギリシア連合軍がトロイに遠征、一〇年間の長期戦を展開、最後はオデュッセウスの「木馬の計」でトロイを打ち破ったといわれる。ほぼ紀元前一三世紀のことと推定される。トロヤ戦争。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トロイ戦争」の意味・わかりやすい解説 トロイ戦争[神話]トロイせんそう[しんわ]Trojan War ギリシア神話の重要なテーマをなす戦争。ふえすぎた英雄の種族の人間たちの数を減らし,大地女神の重荷を軽減する目的で,ゼウス自身によって計画されたといわれる。ゼウスはこの計画の準備のために,みずからレダと交わって美女ヘレネを地上に誕生させる一方で,女神のテティスを英雄ペレウスに妻として与え,勇士アキレウスを生れさせようとした。一方争いの女神エリスは,神々がこぞって出席したペレウスとテティスの婚礼の祝宴に招かれなかったことを恨んで,「最も美しい女神」と記された黄金のりんごを宴席に投込んだ。このりんごの所有をめぐり,ヘラとアテナとアフロディテの間に争いが起り,これがトロイ戦争の誘因となったという。ゼウスは三女神のだれが最も美しいか判定する役にトロイの王子パリスを任じたが,パリスは自分に有利な判定をすれば世界一の美女と結婚させると約束したアフロディテにりんごを与えた。そこでアフロディテは約束を果すため,パリスをスパルタに送って,すでにメネラオス王の妻になっていたヘレネをトロイに連れてこさせた。これに対して,メネラオスの兄であるミケーネ王アガメムノンは遠征軍を組織し,みずから総大将となってトロイに攻め寄せることになった。アキレウスやアイアス,ディオメデス,オデュッセウスなど,当時ギリシア諸国の王であった英雄たちのすべてが加わったギリシア勢は,パリスの審判に恨みをいだくヘラやアテナをはじめ,ポセイドンら多くの神々に助けられ,終始優勢に戦いを進めた。しかしトロイ方も,ポセイドンとアポロンが築いた城壁で守られているうえ,ヘクトルをはじめとする勇士たちを擁し,またアフロディテやアポロン,アレスなどの有力な神々に助けられていたので,容易には攻略できず,戦争は結局 10年間続いた。その間,ヘクトル,アキレウスをはじめ多くの英雄が戦死し,パリス自身も倒れたが,最後にギリシア方は有名な木馬の計略を使い,腹の中にえりぬきの勇士たちがひそんだ巨大な木馬をトロイ方に戦利品として城内に運び入れさせておいて,夜ふけに外に出た勇士たちが城門を開いて味方の軍勢を引入れ,市を焼き略奪をほしいままにして,トロイの男たちをほとんど皆殺しにした。このあとギリシア軍は,捕虜にした女たちを財宝とともに分け合い,帰国の途についたが,安全に航海を続け故国に帰れた者はわずかで,アガメムノンは帰国後すぐ妻のクリュタイムネストラに謀殺され,ヘレネを取戻したメネラオスは8年,オデュッセウスは 10年かけてようやく故国に帰り着くなど,大部分の英雄たちはそれぞれ困難な目にあい,途中落命したり,イタリアなど別の土地に国を建てて住みつく者も多く出たという。 トロイ戦争トロイせんそうTrojan War 前 1200年頃アカイア人と小アジア北西岸のトロイ (イリオン) 人との間に起った戦争。さまざまな伝承を生み,ホメロスの叙事詩をはじめとして数々の古代の文学作品の題材となった。 10万のギリシア軍が結集し,遠征が行われたとされる。しかし前 13世紀後半にエーゲ海に大戦争が起りえた原因は,ミケーネ諸国とトロイ城市の対立に求めるべきであり,原料供給と製品販売をめぐる商業交易上の争いがあったと考えられる。この戦争は,従来は架空の物語とされていたが,1870年 H.シュリーマンが,トルコのヒッサリクの丘に,トロイの遺跡を発掘し,歴史的根拠の存在が承認された。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報