フランドルのルペルモンド生れの地図学者。本名はクレメルGerhard Kremer,メルカトルはラテン名。1569年に出版した世界地図に用いた正角円筒図法が羅針盤航海に好都合なことから,メルカトル図法Mercator's projectionとして今日に至るまで世界的に高い評価を得ている。ルーバン大学を1530年に卒業後,34年ルーバンに店を開き,パレスティナの地図やフランドルの地図を作成した。また命を受けて地球儀をつくりカール5世に献上した。38年,心臓形図法を用いて1対の北半球図と南半球図とを作ったが,北アメリカ,南アメリカの呼称が用いられたのはこれが最初である。彼は熱心な新教徒であったが,44年に投獄され危うく死刑に処せられるのを免れてからは,いっさいの政治運動から身を引いた。52年家族とともにルーバンからデュースブルクに転居した。54年に完成した大縮尺のヨーロッパ図は,それまでの地図よりもヨーロッパの形を著しく正確なものにした。生涯を通じ彼は多数の地図を作成・出版・販売したが,それらをまとめたメルカトル地図帳は彼の死の翌95年に,息子のレモルトRemold M.が《Atlas sive Cosmographicae meditationes de fabrica mundi et fabricati figura》の名前で出版した。その後,地図原版を買い取ったホンディウスJodocus Hondiusによって1602年出版され,以後版を重ね,長く好評を維持した。
執筆者:野村 正七
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オランダ、東フランドルのルペルモンド生まれの地理学者。近代地図学の祖といわれる。フランドル名はGerhard Kremer Mercator。ルーバン大学で数学、天文学、地理学を学んだ。1538年に初めて世界図を、1541年に地球儀を、1551年に天球儀を製作した(両球儀とも奈良・天理図書館に収蔵)。1552年にドイツのデュースブルクに研究所を設立し、地図製作に後半生を捧(ささ)げた。1554年には15枚の大ヨーロッパ地図を、1564年には8枚からなるイギリスの大掛け地図を完成し、1569年には有名なメルカトル世界図を完成した。この図を航海図として彼が最初に用い、その後現在に至るまで広く普及し、メルカトルの名は科学史上永遠に残ることとなった。
[市川正巳]
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…ただドイツ人地理学者マルティン・ワルトゼーミュラーがベスプッチの新大陸説を支持し,西半球の土地にアメリゴにちなんでアメリカという名を付した。もっとも,アメリカという呼称は当初限られた地域(例えばブラジル,アルゼンチン,チリ)に用いられ,それを大陸全土に適用したのは有名な地図製作者メルカトルである(1538)。しかし,スペインおよびその植民地では19世紀にいたるまでインディアスという言葉が一般に用いられた。…
…中世以来ルール炭輸送の中継地で,19世紀中葉の鉄鋼業成立以来急激に発展した。16世紀後半にこの町で活動した地図学者メルカトルの碑銘がザルバトール教会に残る。【渡辺 尚】。…
※「メルカトル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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