ヤージュニャバルキヤ法典 (ヤージュニャバルキヤほうてん)
Yājñavalkya-smṛti
インドのダルマ・シャーストラの一つで,3~4世紀の著作。《マヌ法典》が著作されたのち,この法典は,聖仙ヤージュニャバルキヤの述作と仮託して,生活規範と法規定を記したもので,《マヌ法典》の約5分の2にあたり,簡潔な詩文をもって書かれた。慣習,司法,贖罪の3章に分かれ,いっそう体系化され,王の義務を記した節は慣習の章の終りにおかれた。法規定は《マヌ法典》の18項目を原則的に採用したが,証拠法が証言,占有,文書,神判の4項にまとめられて著しい進歩をとげ,家族法では家産の概念が明確となり,婦女の家産相続上の地位が向上し,刑法や取引法でもかなりの発展をとげた。この法典は,後世重んじられて,いくつもの注釈書が作られたが,とりわけ12世紀の前半に著された《ミタークシャラー》は有名である。
→ミタークシャラー学派
執筆者:山崎 利男
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ヤージュニャバルキヤ法典
やーじゅにゃばるきやほうてん
Yājñavalkya-smrti
古代インドの法典。2、3世紀ごろのバラモン(祭祀(さいし)階層)の著作で、聖仙ヤージュニャバルキヤが宣(の)べ伝えたとされた。『マヌ法典』のあと、その半分の分量でダルマ(法)に関する規定を定め、その規定は宗教的義務、司法、贖罪(しょくざい)の三編に分かたれ、明瞭(めいりょう)で簡潔に記され、合理的に配列された。とくに司法の編には、『マヌ法典』に比べて、詳細な規定や法的に進歩した規定が多くみられる。後世この書には注釈書がつくられ、そのなかで12世紀前半にデカンでつくられた『ミタークシャラー』Mitākarāは有名であって、そこに記された法はイギリス植民地時代にはベンガルを除く全地域で裁判規範として尊重され、今日も存続している。
[山崎利男]
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ヤージュニャバルキヤ法典
ヤージュニャバルキヤほうてん
Yājñavalkya-smṛti
300年頃に成立したインドの法典。ベーダに現れる哲人で聖人とも称されるヤージュニャバルキヤに帰せられる。版本によって異なるが全編 1003~1010の詩によって構成される。全体は3部に分れ,内容のうえでも『マヌ法典』に類似する部分が多いとはいえ,それよりはるかに組織的であり,『白ヤジュル・ベーダ』との関係が深いとされている。インド古来のバラモン教学が復興し,バラモン中心の社会が成立した集権的国家のグプタ朝の理念が,その内容の背景にうかがわれ,後世のインド社会にも大きな影響を与えた。
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世界大百科事典(旧版)内のヤージュニャバルキヤ法典の言及
【ダルマ・シャーストラ】より
…〈ヒンドゥー法典〉とも呼ばれる。狭義には,前2世紀から後5世紀にわたって成立した《[マヌ法典]》《[ヤージュニャバルキヤ法典]》など,〈ダルマ・シャーストラ〉あるいは〈スムリティ〉(憶伝書)の名をもつ一群の文献をさす。 〈法(ダルマ)〉に関しては,すでに[ダルマ・スートラ](律法経)と称する文献群がバラモン教の聖典[ベーダ]に付随して成立しており,バラモン教社会を構成する4階級([バルナ])それぞれの権利・義務や日常の生活法を規定していた。…
【ミタークシャラー学派】より
…1120年ごろ,デカンのカルヤーナに都したチャールキヤ朝ビクラマーディティヤ6世の大臣であったビジュニャーネーシュバラVijñāneśvaraの法律書《ミタークシャラー》に基づく学派。この書は《[ヤージュニャバルキヤ法典]》の注釈書で,ダルマ・シャーストラに基づきながら,8世紀以後の諸注釈を検討して,デカンの社会に適合した法規定,社会規範の体系を樹立した。権威書とされたこの書は,後世の法律書に大きな影響を与え,いくつもの注釈書が著された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」