ドイツのライカ・カメラ社(旧エルンスト・ライツ社)製の高級35ミリカメラ。2000年時点では、連動距離計式のMシリーズ(1954より)および一眼レフ式のRシリーズ(1976より)の2系統が生産されており、いずれもTTL(カメラ内部に受光体を置きレンズを通ってきた光を直接測って露出を決定する機構)内蔵である。なお、1980年代後半より自動コンパクト35ミリカメラ(当初はAFC‐1、2002年時点ではライカミニルックス)も製造している。
ライカはエルンスト・ライツ社の技師であったオスカー・バルナックOskar Barnack(1879―1936)が考案し、最初のA型は1925年に発売され、以降改良を重ねて今日に至る世界的に知られたカメラである。なかでも1954年に発売されたM3型の性能は、当時の日本のカメラメーカーにも衝撃を与え、高級35ミリカメラから35ミリ一眼レフへ転進させる一つの原因になったといわれている。現在の35ミリカメラのファインダーに採用されている明るく輝く画面枠(ブライトフレーム)やフィルムのレバー巻上げなどは、M3型の出現によって普及した機構である。また、ライカがフォトジャーナリズムに与えた影響も大きく、今日一般化しているスナップショットという撮影技法は、ライカの出現とそれに続く35ミリカメラの普及により日常化したともいえる。
[伊藤詩唱]
『中川一夫著『ライカの歴史』(1979・写真工業出版社)』▽『中村信一著『現代カメラ新書別冊 35ミリ一眼レフシリーズNo.18 R型ライカのすべて』(1990・朝日ソノラマ)』▽『酒井修一著『ライカとその時代――M3までの軌跡』(1997・朝日新聞社)』▽『萩谷剛編『ライカ研究』(2000・朝日ソノラマ)』
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…88年,G.イーストマンは紙をベースにしたロールフィルムを用いるボックスカメラ,コダックを発売,ロールフィルムが本格化するとともに,1912年,イーストマン・コダック社(略称コダック社)から発売されたベスト・ポケット・コダック(日本では単レンズ付きのものがいわゆる〈ベス単〉の愛称で親しまれた)は大量生産された最初のカメラで,世界的ベストセラーとなった。 一方,映画の普及とともに,35ミリ映画フィルムをスチルカメラに転用する企画が相次いだが,ドイツの顕微鏡メーカー,ライツ社の技術者バルナックOskar Barnack(1879‐1936)が13年より試作を続け,25年にライカAとして発売されたカメラは,ダブルサイズと称する映画2コマ分の画面サイズ(36mm×24mm)を用い,今日の小型スチルカメラの始祖となったばかりでなく,マガジン入りのフィルムを使用し,フィルムを1コマ送ると同時にフォーカルプレーンシャッターを巻き上げる,いわゆるセルフコッキング方式をとっているなど,現代小型カメラの基本的要件を備えていた。29年にはドイツのフランケ・ウント・ハイデッケ社からロールフィルムを用いて近代化された二眼レフが発売され,新しい中判カメラの基礎を築いた。…
…おもに感光材料の問題から露光時間が長く,発明以来静的な写真しか撮れない状況が50年あまり続いたが,乾板やフィルム製造の産業化とその感光度の上昇に伴い,撮影の機動性と速写性が向上し,いわゆるニュース写真ばかりでなく広義の意味での報道写真(ルポルタージュ写真等)や記録写真(ドキュメンタリー写真)などグラフ・ジャーナリズムの可能性を急速に広げた。またフラッシュバルブ(のちにストロボに代わる)や小型カメラの性能向上,とくにドイツのエルンスト・ライツ社のカメラ,ライカLeica出現(1925年,ただし当初はライカという呼び名ではない)の影響は大きく,現在もライカの思想にもとづいた35ミリ判カメラは,ジャーナリスティックな写真取材の主流機材となっている。 新聞,雑誌に写真が自由に印刷される時代を迎えると,ニュース写真の新鮮さと新奇さの競争が,読者の要求により拍車をかけられて展開した。…
※「ライカ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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