マツ(読み)まつ(英語表記)pine

翻訳|pine

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マツ」の意味・わかりやすい解説

マツ
まつ / 松
pine
[学] Pinus

マツ科(分子系統に基づく分類:マツ科)マツ属植物の総称。北アフリカ、西インドならびにマレーシア以北の北半球に広く分布し、約100種が知られる。とくに北アメリカに種類が多い。いずれも短枝の上に葉が2本、3本および5本束生する。まれに1本、4本のものがある。

[林 弥栄 2018年5月21日]

日本のマツ類

日本にはアカマツ、クロマツ、ゴヨウマツ、チョウセンマツ(チョウセンゴヨウ)、ハイマツ、リュウキュウマツ、アマミゴヨウ(ヤクタネゴヨウ)の7種が知られ、雑種のアカクロマツハッコウダゴヨウがある。またゴヨウマツの変種としてキタゴヨウ(キタゴヨウマツ)、中国原産のタカネゴヨウの変種としてアマミゴヨウ(ヤクタネゴヨウ)がある。これらのうち、アカマツ、クロマツ、リュウキュウマツ、アカクロマツは二葉松、ゴヨウマツ、アマミゴヨウ、チョウセンマツ、ハイマツ、ハッコウダゴヨウ、キタゴヨウは五葉松である。

 アカマツはメマツともいい、樹皮は赤褐色で目だち、葉は細長く、柔らかい。標高2290メートル以下で、普通、潮風の直接当たらない内陸に生えるが、三陸海岸、松島付近、新潟市から山形県境の海岸、能登(のと)半島の内海沿岸では、直接潮風の当たる所でも生育する。クロマツはオマツともいい、樹皮は黒灰褐色で老樹では厚く、亀甲(きっこう)状に裂け目を生じ、不規則な厚い鱗片(りんぺん)となってはげ落ちる。葉は長く強剛で、大木も多い。標高950メートル以下で、普通、潮風の当たる海岸に生えるが、関東地方以西の各河川流域、四国、九州では内陸部深くまで分布が及ぶ。

 ゴヨウマツは、樹皮は暗灰色で葉はやや短く、白みがある。標高60~2500メートルに生える。チョウセンマツは、樹皮は灰褐色で葉はやや長くて白っぽく、球果は大形、種子も大きく翼はない。標高1050~2600メートルに生える。ハイマツは針葉がゴヨウマツより太く剛直で、白みが深く、種子は翼がない。本州では標高780~3180メートル、北海道では50~2240メートルに分布する。リュウキュウマツは、葉はややクロマツに似るが、より細くてやや柔らかく、長い。標高20~280メートルに生え、鹿児島県吐噶喇(とから)列島の悪石島(あくせきじま)、奄美(あまみ)諸島、沖縄に分布する。

 アカクロマツはアカマツとクロマツの雑種で、アカマツに近い形質をもったもの、クロマツに近い形質をもったもの、両者の中間的形質をもったものがある。外部形態でもある程度両者を識別できるが、葉の横断面の形態、とくに樹脂道の位置などにより決定される。一般に葉はクロマツに近い形態のものが多い。雄花群の形態、大きさはクロマツに近く、雌花群の形態はアカマツに近いものが多い。アカマツとクロマツの混生する地域に広くみられる。ハッコウダゴヨウはハイマツとキタゴヨウの雑種で、ハイマツに近い形質のもの、キタゴヨウに近い形質のもの、両者の中間的形質のものがある。外部形態でも、ある程度両者を識別できるが、葉の樹脂道の位置、球果の形態および種子の翼の有無と形状などにより決定される。北海道と、八甲田山(はっこうださん)と白山の間の高山に自生する。最初に八甲田山で発見されたので、ハッコウダゴヨウと命名された。

 キタゴヨウは主として北方に分布するので、名がつけられた。葉は長く、質は堅く、白みが強い。球果は大形で長さ5~10センチメートル、径3~4センチメートル、熟すと著しく裂開する。種子の翼は種子より長く、質は堅い。冬芽は卵形で先端は丸い。天然分布が北に偏しているなどの相違があり、基本種と区別される。垂直分布は海抜60~1800メートルで、中部地方(岐阜県)以北の本州、北海道に分布する。アマミゴヨウは母種のタカネゴヨウに比べて葉が短く、球果は卵円形で種子は細長いなどの相違があり、区別される。垂直分布は海抜100~800メートルで、種子島(たねがしま)の西之表(にしのおもて)市、中種子(なかたね)町の浜津脇、屋久島(やくしま)の屋久島町砂沙(すなさ)、平瀬などにわずかに自生するにすぎない。現在、関東地方南部以西の暖地に、まれに植栽される。とくに九州の鹿児島県下などには各地に植えられ、鹿児島市の磯(いそ)公園には大木が10本ほどあり、よく生育し結実する。

[林 弥栄 2018年5月21日]

球果の大きさ

マツ類の球果は長さがいろいろで、形もそれぞれ特徴がある。球果の長さは、日本産のものでは、アカマツ3~5センチメートル、クロマツ4~8センチメートル、ゴヨウマツ5~8センチメートル、アマミゴヨウ4~11センチメートル、チョウセンマツ10~18センチメートル、ハイマツ4~5センチメートル、リュウキュウマツ3~6センチメートルである。また外国産のものでは、バンクスマツP. banksiana Lamb.(北アメリカ北部、カナダ原産)2~5センチメートル、オウシュウアカマツP. sylvestris L.(ヨーロッパ、シベリア、アムール)2.5~7センチメートル、シロマツ(ハクショウ)P. bungeana Zucc.(中国北部、西部)5.5~7.5センチメートル、ストローブマツP. strobus L.(北アメリカ、カナダ)5~20センチメートル、カイガンショウP. pinaster Aiton(ヨーロッパ南部)9~20センチメートル、ダイオウショウ(ダイオウマツ)P. palustris Mill.(北アメリカ南東部)15~25センチメートル、ヒマラヤゴヨウP. wallichiana Jacks.(ヒマラヤ地方)15~28センチメートル、メキシコシロマツP. ayacahuite Ehrenb.(メキシコ、グアテマラ)25~45センチメートルで、大きさに変異が多い。

 チョウセンマツ、ナットパイン(ピニョンマツ、メキシコマツ)P. edulis Engelm.などの種子は大形でとくにおいしく、食用とする。

[林 弥栄 2018年5月21日]

栽培

マツ類はいずれも陽樹で、比較的乾燥した土壌を好む。萌芽(ほうが)力があり、剪定(せんてい)に耐え、大木の移植も可能である。成長は速いほうである。繁殖は実生(みしょう)が主体であるが、園芸品種や特殊松では接木(つぎき)、挿木が行われる。挿木の活着はあまりよくない。病気には、葉に被害を与える葉枯病、葉ふるい病、葉さび病、すす葉枯病、枝や幹に害を与えるてんぐ巣病、皮目(ひもく)枝枯病、こぶ病、根に害を与える根腐(ねぐされ)線虫病、紫(むらさき)紋羽病、全木に被害を及ぼすマツ材線虫病などがある。葉枯病、葉ふるい病、葉さび病、すす葉枯病には銅剤または有機硫黄(いおう)剤を散布し、防除する。てんぐ巣病、皮目枝枯病、こぶ病は病枝を切り取って焼却する。線虫病には薬剤を散布し、防除する。虫害にはマツノザイセンチュウ、マツノマダラカミキリ、クロカミキリ、マツノシラホシゾウムシ、オオゾウムシ、マツノキクイムシ、マツカレハ、マダラメイガ、マツアカシンムシ、マツノキハバチ、マツタマバエ、マツカキカイガラムシ、スギハムシなどによるものが多い。手当てとしては、被害木を切って焼却し、健康木を肥培管理する。予防としては、油剤や乳剤を樹冠や葉にそれぞれ散布する。そのほか天敵を利用して防除する方法も、一部(マツカレハなど)実行されている。

[林 弥栄 2018年5月21日]

名勝・天然記念物

マツ類、とくにアカマツとクロマツは巨樹、名木が多く、岩手県陸前高田(りくぜんたかた)市の「華蔵寺(けぞうじ)の宝珠(ほうじゅ)マツ」(クロマツ)、京都市西京区大原野小塩町の「遊龍松(ゆうりゅうまつ)」(ゴヨウマツ)、愛知県豊川(とよかわ)市の「御油(ごゆ)のマツ並木」(クロマツ)、滋賀県湖南(こなん)市の「平松のウツクシマツ自生地」(アカマツの1品種)などは国の天然記念物に指定されている。名勝には静岡市の「三保松原(みほのまつばら)」、佐賀県唐津(からつ)市の「虹の松原(にじのまつばら)」などがある。アカマツとクロマツは天然生のものが多いが、植林もされている。

[林 弥栄 2018年5月21日]

利用

マツ類の材は、辺材は黄白色、心材は黄褐色から赤褐色、材質は強靭(きょうじん)で、加工性・保存性・乾燥・堅さ、いずれも中程度、腐朽に強く、建築、土木、船舶、橋、樽(たる)、包装、経木、楽器、彫刻、パルプなどに広く利用する。クロマツなどからは松脂(まつやに)がとれる。その他庭園樹、公園樹、並木、盆栽(とくにクロマツ、ゴヨウマツ、アカマツ)として常用され、アカマツやクロマツは正月の門松(かどまつ)に利用される。

[林 弥栄 2018年5月21日]

食用

マツの実は種実の一つとして食用に利用される。古くから強壮・不老長寿に効果があるといわれているが、栄養価が高く、タンパク質、脂質、鉄、カリウム、ビタミンB1・B2
・Eなどが豊富に含まれている。マツの実は世界各地で食べられているが、とくに朝鮮半島で利用が多く、料理や菓子に混ぜたり、それらの上に飾ったりして幅広く使われている。松葉も不老長寿に効があるとして、松葉エキスや松葉酒が民間薬として古くから伝えられている。また、松葉は形がよく香りもよいため、焙烙(ほうろく)焼きに塩とともに材料の下に敷いたり、葉に黒豆やぎんなんを刺して美しく盛り付けるなど装飾にも用いられる。

[河野友美 2018年5月21日]

文化史

マツは材以外に樹皮、樹脂、葉、松かさ、種子など多様に利用できる有用樹で、その利用史も古い。日本では鳥浜貝塚(福井県)から縄文前期の、先端を削りとがらせた棒が、用途は不明であるが、何本も出土している。

 古代ローマの建築物は屋根板にマツの樹皮が使用され、材をくりぬき通水管として土中に埋めた。プリニウスは『博物誌』で、松かさを吐血、種子を胃・腎臓(じんぞう)・膀胱(ぼうこう)の治療に、葉を肝臓病に使い、松林の空気が健康によいと、現在の森林浴的考えを記述している。ローマ時代のギリシア系植物学者ディオスコリデスも、松かさや種子、樹皮に収斂(しゅうれん)作用や痛み止めの効果があると指摘し、煤(すす)は筆記用のインキになると述べている(『薬物誌』)。ただし、マツそのものは古代ローマでは陰気な木とみられ、不幸のしるしとして家の入口に立てられ、墓地に植えられた(『博物誌』)。

 一方、中国では古来マツは尊ばれ、『論語』には、夏(か)王朝がマツを社(やしろ)の木(神木)として扱ったように書かれ(「……社……夏后氏以松」)、また厳寒に緑を保つマツを特別な木としてとらえていた。『史記』の亀策(きさく)伝には「松柏為百木長而守門閭」(松柏は百木の長、而(しこう)して門閭(もんりょ)を守る)と書かれている。さらに、松の字を十八と公に分解していわれを説く丁固(ちょうこ)の物語(夢のなかで、腹の上に松が生え、18歳になれば出世するという夢をみて、成人して公になった)も『史記』に載るが、それは字からの想像で、松の公は筒抜ける意味で、葉と葉にすきまがあることに基づき、爵位の公を表すわけではない。白居易(はくきょい)は「松樹千年終是朽 槿花一日自為栄」(松の樹(き)は1000年を終えて朽ちる。槿花(きんか)(ムクゲ)の花は1日だけ栄える)とマツの長命を詠む。また、仙人は松を食べると言い伝えられ、不老長寿の象徴として扱われた。

 日本でも『万葉集』には、「神さびて」とか「千代松」の表現が伴い、すでにマツがその長寿から神格化されていたことがわかる。『万葉集』にマツを詠んだ歌は76首ある。ほかに松風が3首。当時マツは宿で栽培されていた(巻6・1041、巻15・3747など)。またマツは形見としても植えられ、巻11には「君来ずは形見にせむとわが二人植えし松の木君を待ち出(い)でむ」(2484)と歌われている。中国でもマツは早くから庭園樹にされ、白居易の『白氏長慶集(はくしちょうけいしゅう)』にはマツを売る者に贈る詩や栽松の詩などがある。

 平安時代、春の初めの子(ね)の日遊びと称して、野外に出て小松を引き、庭に植えた。11世紀にはそれが門松に発展する。後三条(ごさんじょう)天皇の代の惟宗孝言(これむねたかこと)の漢詩には「正月春中閔四墉」「鎖門賢木模貞松」の句があり、それに「近来世俗、皆以松挿門戸。而余賢木代之」(近来世俗は皆松を以(もっ)て門戸に挿す。而して余は賢木(さかき)を之(これ)に代う)と自注した(『本朝無題詩集』)。室町以降は正月のいけ花にもマツが使われた。『仙伝抄』(1536)は「正月一日は松」と明示している。マツは盆栽にも早くから使われ、『春日権現霊験記(かすがごんげんれいげんき)』(1309)には、水盤に矮小(わいしょう)なマツがセキショウ、岩、白砂などと配され、描かれている。

 アカマツは乾燥した二次林によく発達し、照葉樹林下では十分に育たない。花粉分析から、マツが増えるのは古墳時代以降であることが明らかにされている。『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』にも、日本の木を列挙したなかにはマツが登場せず、それを裏づける。マツは火力が強いので、材が精塩や焼物の燃料に、松炭が精鉄に使われ、それらが産業として育った地方では、アカマツ林が広がった。このため、アカマツの植林が増えることは日本本来の植生を破壊し、国土を荒廃させるという「赤松亡国論」が太平洋戦争後、唱えられた。

 マツの木はよく燃え、松明(たいまつ)にされた。それにはテレビン油が含まれ、太平洋戦争中は航空機の燃料として、切り株を掘り起こし、松根油(しょうこんゆ)をとった。松葉を砂糖とともに発酵させた松葉エキスは飲料として飲まれる。江戸時代の飢饉(ききん)のおりには、松皮を搗(つ)き、松皮餅(もち)をつくって食べた。

[湯浅浩史 2018年5月21日]

民俗

日本の代表的な樹木として知られるマツは、長寿や節操を象徴するものとされ、また神聖な木として神霊が宿るとの信仰があった。その代表的なものが正月の門松(かどまつ)で、この木を立てて歳神様(としがみさま)を迎えるのである。神社や仏閣には来迎(らいごう)の松、影向(ようごう)の松、降(くだ)り松などの名称で信仰の対象となっているものがあるが、いずれも神仏がそのマツの木に降臨するとの信仰によるものである。京都府亀岡市の大井川畔にある神降り松は、昔から村に何か異変があるときに神が降臨してお告げをされたという。しかし、逆にこの木を嫌う神もあり、東京・府中市の大国魂(おおくにたま)神社では境内に1本のマツもなく、正月の門松にはタケを立てている。

 そのほか天狗(てんぐ)が腰を掛けて休んだとか、そのマツのそばに天狗が住んでいたという天狗松、毎年一定の期日に竜灯(りゅうとう)が上がるという竜灯松の伝説が各地の社寺に伝えられており、歴史上名のある人物がその主人公となっている衣(きぬ)掛け松、駒繋(こまつな)ぎ松、舟繋ぎ松、弓掛け松などの伝説もある。庶民の生活に関するものでは夜泣き松というのがあり、削った樹皮に火をつけて子供に見せるとか、これを枕(まくら)の下に入れておくと夜泣きがやむという。

 古代からマツの用途として松明(たいまつ)があるが、近畿地方をはじめ各地で精霊供養のための「柱松(はしらまつ)」という盆行事が行われる。これは、杭(くい)のように立てた柱の先に燃料を入れた籠(かご)を取り付けておき、下から小松明を投げ入れて火をともすもので、和歌山県田辺(たなべ)市のもの(7月10日)が有名であるが、京都市嵯峨(さが)の清凉寺(せいりょうじ)や奈良の東大寺二月堂など、修二会(しゅにえ)の行事として行われるものもある。

 また中古における年中行事に「子日(ねのひ)の遊び」というのがあった。正月初めの子の日に丘に登り、四方を望んで煩悩(ぼんのう)を除いたというが、これは中国より伝来した行事で、しだいに日本化すると、野に出て若菜を摘み、小松を引いて野遊びをするようになった。この日、小松を引くことによりマツの長寿を譲り受けるとし、小松の芽を食用にした。民間では正月4日の初山入りに、山から雌雄の小松を引いてきて、苗代(なわしろ)ごしらえのときに田の水口に立てたり(奈良県南部)、正月20日を「松植え節供」といって氏神様の境内などにマツの小苗を植える(静岡県の旧榛原(はいばら)郡・旧小笠(おがさ)郡など)。なお、マツはめでたい木とされているため墓に植えるのを嫌う。また庭木として屋根の棟より高くなるのは、家が滅ぶといって忌む地方がある。

[大藤時彦 2018年5月21日]

文学

松竹梅は、中国の歳寒三友や三清などを受けたもので、日本の民俗にもかなって、めでたい取り合わせとして広く行われた。『論語』子罕篇(しかんへん)に「歳寒クシテ然(しか)ル後ニ松柏(しょうはく)ノ凋(しぼ)ムニ後(おく)ルルコトヲ知ル」とあり、『懐風藻(かいふうそう)』の「貞質高天ヲ指ス」(中臣大島(なかとみのおおしま)「詠孤松」)、『古今集』の「雪降りて年の暮れぬる時にこそつひにもみぢぬ松も見えけれ」(冬)など、節操あるものとして詩歌に多く詠作された。松は神が降臨する神木であり、千代・千歳の長寿の木として尊重され、子(ね)の日の小松引きは、若菜摘みなどとともに春の行事として、和歌にしばしば詠まれている。『古事記』の日本武尊(やまとたけるのみこと)が尾張(おわり)の尾津(おづ)の崎の「一つ松」を詠んだ歌謡、『万葉集』の「岩代(いはしろ)の浜松が枝(え)を引き結び真幸(まさき)くあらばまたかへり見む」(巻2・有間皇子(ありまのおうじ))の歌などがよく知られる。『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』香島(かしま)郡条には、時を忘れて愛し合った男女が松の木となったという、童子女(うない)の松原の伝説が記されている。『古今集』になると類型化し、住の江(すみのえ)(住吉)の松は長寿・高齢を、謡曲『高砂(たかさご)』の題材ともなった高砂の松は老後の無為孤独を、末の松山は愛情の不変を表象するようになる。大原野の小塩山(おしおやま)の松は『後撰集(ごせんしゅう)』慶賀の貫之(つらゆき)の歌で、また陸奥(みちのく)の姉歯(あねは)の松は『伊勢物語(いせものがたり)』で知られ、武隈(たけくま)の松は『後撰集』や『源氏物語』「薄雲」にみえ、阿古屋(あこや)の松は藤原実方(ふじわらのさねかた)の説話として『平家物語』巻2などに伝えられ、京都の北野天神の松は菅原道真(すがわらのみちざね)の霊により一夜で生じたと『大鏡』藤原時平(ふじわらのときひら)伝に語られる。謡曲では在原行平(ありわらのゆきひら)の須磨配流(すまはいる)と松風・村雨の恋物語を題材とする『松風』や三保松原(みほのまつばら)を背景とする『羽衣』などがある。松に鶴(つる)、松に藤(ふじ)などという配合も大和絵(やまとえ)などの画題とも関連して詠まれている。「松」に「待つ」をかける表現も例が多い。『枕草子(まくらのそうし)』には、「花の木ならぬ」の段に掲げられ、『徒然草(つれづれぐさ)』には「家にありたき木」のなかに数えられている。季題としては、「松の内」「松竹」「門松」など新年が多いが、四季それぞれにみられる。

[小町谷照彦 2018年5月21日]

『柳田国男監修『日本伝説名彙』(1950・日本放送協会)』『『神樹篇』(『定本柳田国男集11』1963・筑摩書房)』『上原敬二著『樹木図説 第5巻』『樹木図説 第6巻』(1971・加島書店)』『小笠原隆三著『日本の巨樹・老樹――巨樹・老樹と人間』(1999・西日本法規出版、星雲社発売)』『原田洋・磯谷達宏著『マツとシイ――森の栄枯盛衰』(2000・岩波書店)』『小田隆則著『海岸林をつくった人々――白砂青松の誕生』(2003・北斗出版)』『二井一禎著『マツ枯れは森の感染症――森林微生物相互関係論ノート』(2003・文一総合出版)』


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改訂新版 世界大百科事典 「マツ」の意味・わかりやすい解説

マツ (松)
pine

常緑性で,2ないし5本の針葉を短枝に頂生したいわゆる松葉をもつ,マツ科マツ属Pinus樹木の総称。北半球に広く分布して昔からさまざまに利用されてきた。松やpineの名は後述のように他科他属の針葉樹につけられることもある。

ハイマツなど少数を除いて高木性で,幹の樹皮はうろこ状に割れるか滑らかである。新条は通常春の1ヵ月ほどの間に伸長生長を終わり,先端に頂芽および数個の側頂芽を形成する。翌春これらの芽から分枝しつねに主軸の周りに横枝が輪生するため,若木ではしばしばその階数によって樹齢がわかる。葉には2型がある。鱗片葉は新条(長枝)に螺生(らせい)し,成型では褐色で葉緑素を欠くが,発芽後1年ないし1年半までの幼型では線形緑色である。褐色の鱗片葉の腋(えき)から出る短枝の先端に,種によって1~8(多くは2~5)本ずつ緑色の針葉を束生する。針葉数はしばしば種内でも変異し,針葉断面の中心角は360度を針葉数で除した値となる。短枝の基部はさらに褐色の鱗片(葉鞘)に包まれる。針葉は2~数年後に短枝ごと落葉する。針葉断面の中央に1個の周縁層があり,その中に1または2個の維管束を含む。また葉肉内に2~十数個の樹脂道がある。花は単性で,新条基部の多数の鱗片葉腋に雄花,頂端に2~3個の雌球花がつく。雄花は楕円形ないし円柱形で黄色あるいは赤色で,多数のおしべが螺生する。花粉の両側に気囊がある。雌球花は楕円形または円柱形で,背面に茎鱗を伴う心臓形の種鱗(心皮)が密に螺生し,種鱗の内側に2個の胚珠が倒生する。受精は同年秋か翌春に行われ,翌秋またはまれに翌々秋に卵形ないし円柱形の球果(松かさ,松ぼっくり)が下垂または横向きに熟す。球果は種鱗のみが大きくなり,多くの種では先端が肥厚して露出部(鱗背)がひし形となる。通常は熟後種鱗が開いて種子を飛散させるが,中には永く樹上に残り山火事によって開くか,地上に落ちて球果の腐熟後に発芽する晩生型の種もある。多くの種では種子の上部に翼がある。種子の発芽は一部の種では2ないし数年にわたる。幹枝の木部には必ず樹脂道と放射仮道管がある。

マツ属は約100種が赤道圏低地を除く北半球に広く分布し,スマトラ島でのみわずかに赤道を越える。アジア東北部と北アメリカ東部の白亜紀上部に最も古い化石が知られるが,今日ではアジアに約25,ヨーロッパに12,アメリカ大陸に60~65の種が記録されており,とくにメキシコから中央アメリカの高地では現在も種分化が進行中と考えられ,さらに多くの種が見いだされる可能性がある。マツ属樹種の多くは,陽性の先駆種である,養分要求度が比較的小さい,高山のハイマツのように樹形の立地適応性が強い,また晩生球果のような特殊な形態的あるいは生態的形質をそなえる,などの特徴を共有する。このことが,衰退に向かっている針葉樹類の中でなお繁栄を保つ理由であると考えられる。古くから各地で植林されたため,自然分布域の不明確となった種も少なくないが,量的には北緯10~70°の間に最も多い。

 マツ属は,南ベトナム高地産で短枝に2個の扁平な葉をもつP.krempfii Lecomteを除くと,針葉の維管束が1個の単維管束類と2個の複維管束類の2亜属に分けられる。単維管束類は針葉5本の種が多いので五葉松類ともいうが,2本,3本あるいは1~4本の種もある。マツ属の約1/3がこの仲間である。長枝の鱗片葉の基部が沿下しないため枝面が滑らかで,短枝の葉鞘(ようしよう)は早く脱落し,種鱗の先端はひし形の鱗背をつくらず,種子の翼は離れにくい。材が軟らかくまた樹脂が少なく色も淡いので,軟松類soft pine(white pine)ともいう。一方,複維管束類は二葉松類ともいうが,これにも3本あるいは4,5本,そして2~5本の種がある。鱗片葉が沿下して長枝表面に凹凸があり,葉鞘が永く残り,種鱗の鱗背はひし形で中央に突起(へそ)がある。種子の翼は離れやすい。辺材,心材の区別および年輪界が明らかである。材質が硬く樹脂分が多いので硬松類hard pine(pitch pine)ともいう。種数の配分は,日本に五葉松類4種,二葉松類3種,これらを含んでアジアに両類とも12~13種ずつ,ヨーロッパに五葉松類2種,二葉松類10種,北アメリカに五葉松類20種,二葉松類40~45種。

マツ属樹種の多くは,燃料,用材,あるいは樹脂や種子の採取用のほか,乾燥,潮風,寒風,せき悪不良の土壌条件などに対する高い耐性によって,防風林,防潮・砂林としても古くから植林された。さらに今日では南半球各地での植林にも供され,その意味ではマツ属は世界で最も重要な樹木といえる。また天然生林も含めた蓄積が多いので,きわめて多様な用途がある。木部に樹脂分を含み,とくに二葉松類の材はそれによって耐水性に富むので,橋梁,杭などの土木用に利用される。しかし,のこぎりにやにがついて動かなくなるので,昔は木挽(こびき)がなかなか困難であった。そのほか建築,造船,木工などの用に供され,また松炭は火力が強いので,日本では古くから鍛冶・製鉄用にも大量に伐採され,中国地方での林地荒廃の原因となった。パルプ用材としては樹脂分の少ない五葉松類のほうが喜ばれる。幹の樹皮を傷つけて集めた生樹脂をテルペン油とロジンに分けて,医薬,溶剤,塗料,印刷インキあるいは接木蠟など多種の用途に当てる。チョウセンゴヨウやメキシコ産P.cembroides Zucc.(英名nut pine)などの大型の種子をもつ種は,食用の目的で植栽もされた。松林には多種のキノコが発生し,日本ではマツタケが重要な林産物である。風景樹,庭園樹としての役割の大きい種もあり,多行(たぎよう)や枝垂れ(しだれ),針葉の斑入りやねじれ,球果の千成り(せんなり)などによって多数の園芸品種が知られている。ゴヨウマツなどは盆栽としても賞用される。

(1)五葉松類 日本にはゴヨウマツハイマツのほか2種がある。チョウセンゴヨウP.koraiensis Sieb.et Zucc.は関東・中部地方の亜高山帯と愛媛県東赤石山に生育する高木で,朝鮮半島,中国東北部,ウスリー地方にも分布する。種子が食用,油用となるので,朝鮮半島ではそのための植林もされる。ヤクタネゴヨウP.armandii Planch.var.amamiana (Koidz.) Hatus.は中国,台湾に分布するタカネゴヨウの変種で,鹿児島県種子島と屋久島の特産である。外国産では,ストローブマツP.strobus L.(英名eastern white pine)が北アメリカ東部唯一の種で,高さ50mに達する重要な林業樹種であるが,ヨーロッパから入った発疹銹病(はつしんさびびよう)が甚大な被害を与えている。北アメリカ西部には近縁のモンチコラマツP.monticola Dougl.(英名western white pine)がある。同じく西部産のナガミマツ(別名サトウマツ)P.lambertiana Dougl.(英名sugar pine)は高さ70m,球果の長さ30~50cmにもなる。山西,陝西など中国北部諸省に分布するシロマツP.bungeana Zucc.(英名lacebark pine)は三葉で,樹皮のはげたあとが滑らかで樹脂を分泌して帯青白色となる。朝鮮半島では庭園に植えられる。

(2)二葉松類 日本にはアカマツクロマツのほかに,琉球列島特産のリュウキュウマツ(別名オキナワマツ)P.luchuensis Mayrがある。琉球での重要林木で,高さ20mほどになる。アジアでは,タイワンアカマツP.massoniana Lamb.が中国東部と台湾,ベトナムに分布し,種子は食用となる。近年マツクイムシなどによる被害が問題になっているが,クロマツとの人工交配雑種は材線虫病耐性があるという。インド東部,インドシナおよびフィリピン北部に分布する三葉のカシヤマツP.khasya Royleは近年アフリカでも造林に用いられる。ヨーロッパから中国東北地方の広い面積に分布する二葉のヨーロッパアカマツP.sylvestris L.(英名Scotch pine)は,中・北欧での最重要林業樹種である。北アメリカにはダイオウショウ(大王松)P.palustris Mill.(英名longleaf pine)が東南部諸州に分布し,低湿地にも育ち,樹脂を採る。三葉で長さ20~50cmの針葉が枝端に房状につく姿がおもしろいので,日本でも庭園に植えられる。同じ東南部産のテーダマツP.taeda L.(英名loblolly pine)も三葉で湿地に生える。マツ類には1年に2,3回長枝を伸長させる若干の種があるが,フランス西南部から西地中海の沿海地に生じる二葉のフランスカイガンショウ(仏国海岸松)P.pinaster Ait.や,アメリカ東南部のリギダマツ(別名ミツバマツ)P.rigida Mill.(英名pitch pine)がそれである。リギダマツも三葉で,テーダマツとともに韓国で大量に植林されている。カリフォルニア州西部のごく一部に自生するラジアータマツP.radiata D.Don(英名Monterey pine)は二・三葉で,ニュージーランドで広く植林され,その木材は海外にも輸出される。地中海北岸地方に分布するカサマツP.pinea L. (=P.sativa Lamarck) (英名Italian stone pine,umbrella pine)は二葉で,傘を開いた形の樹冠をなし,球果が3年目に熟するため種鱗外面のへそが二重になる。種子は食用となる。

和名の語尾にマツのつく日本産の樹木はマツ属以外にも若干みられるが,トドマツ(モミ属),カラマツ(カラマツ属)などいずれもマツ科所属であり,他科のものは少ない。中国語の影響の強い日本では,針葉の形状によってマツはスギやカシワからはっきり区別されているからであろう。しかし,外国産の樹種になると,事情がややスギやcedarの場合に似てくる。これは,もともと植物相の貧弱なヨーロッパの樹木名がアジア,新大陸やとくにマツ科とスギ科がまったくまたはほとんど分布しない南半球に持ち込まれたときに拡大使用された結果と思われる。したがってナンヨウスギ科の樹種を,Chile pine(チリマツ),Norfolk pine(コバノナンヨウスギ,ノーフォークマツ)やKauri pine(ナギモドキ,カウリマツ),また日本特産のスギ科コウヤマキをumbrella pineなどということになる。それらを訳して和名も〇〇マツとなった。北アメリカ西部に広く分布するアメリカトガサワラはマツ科トガサワラ属(北アメリカとアジアにのみ分布)であるが,米語ではOregon pineともまたDouglas firともいう。この例のようにpine,fir,spruceの類の欧米語はしばしば厳密な属の区別なしに使われるようである。もっとも,日本の木材市場でも,アメリカトガサワラのことを材の性情に基づいて米松(べいまつ)といっている。
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日本人は松といえば,めでたいもの,節操高いものと考え,新年や慶事の際には必ずこれを飾り立てる慣習をつづけているが,その淵源を尋ねていくと古代中国思想の忠実な受容=移植だったことがわかってくる。

 松が日本古典に最初に登場するのは,《古事記》中巻,景行天皇の条においてである。ヤマトタケル(小碓命)が尾津の前(さき)の一つ松のもとで食事をとったときに忘れた大刀は,失われずにもとどおりあったので,褒め歌をうたった。〈尾張(おわり)に 直(ただ)に向へる 尾津(おつ)の埼(さき)なる 一つ松 あせを 一つ松 人にありせば 大刀(たち)佩(は)けましを 衣著(きぬき)せましを 一つ松 あせを〉。さらに《万葉集》には〈活道(いくじ)の岡に登り,一株(ひともと)の松の下に集ひて飲(うたげ)せる歌〉として次の2首がある。〈一つ松幾代か経(へ)ぬる吹く風の声(おと)の清きは年深みかも〉〈たまきはる命は知らず松が枝(え)を結ぶ情(こころ)は長くとぞ思ふ〉。万葉歌人は,物語のなかの英雄ヤマトタケルと同じく,一つの松のもとで飲み食いの宴をひらき,松風の音が清澄なのはこの木が長寿だからであると歌い,人間の寿命はわからないものだが,松の枝を結ぶ気持ちは長寿を願えばこそであるよと歌う。このほか,《万葉集》にあらわれる松は,多くの場合,長寿願望の寓意が歌い込められてある。

 一方,日本最初の漢詩集《懐風藻》(751成立)には,大納言直大二中臣朝臣大島の五言詩〈詠孤松〉(制作年代は680-690と推定される)が載っている。その大意は,岡の上の一つ松は常緑の色を呈し,雲をも押しのけようとする心はもとから明白高潔で,根を大地にしっかりおろし,その節操ある性質は高い大空をめざしてそびえ,なにもかもが中国の故事にそっくりだというようなものである。この詩の思想的主題は,中国から学びとった律令政治体系のなかでの松の文化記号を解読=再生産しようとするところにあった。そして,それは〈古代詩歌〉の一般的特質でもある。

 古代律令知識人が学習した松のシンボリズムは,平安中期の摂関文化にも継承されていく。これの〈やまとことば〉による翻案の作業が《古今和歌集》にほかならない。《古今和歌集》に詠ぜられた松は,例えば〈ときはなる松のみどりも春くれば今ひとしほの色まさりけり〉〈雪ふりてとしのくれぬる時にこそつゐにもみぢぬ松もみえけれ〉に代表されるように,松の長寿と貞節とを歌ったものか,あとは〈立ちわかれいなばの山の峯におふる松としきかば今かへりこむ〉に代表されるように〈待つ〉の縁語と使われたものか,どちらかに限られ,一首として松そのものの植物生態を対象にした作品はない。〈つゐにもみぢぬ松もみえけれ〉は,日本古典文学大系本の頭注によると,〈松がどこまで行っても紅葉しないこともわかったよ。論語に“歳寒くして然る後に松柏の凋(しぼ)むに後(おく)るるを知る”とある〉と見える。つまり,この1首は,マツの節操の堅固さに託して,帝王にむかい,臣下たる自分の二心(ふたごころ)ない忠勤の誓いを表明した歌である。この古今の〈和歌美〉が中世まで伝授されていき,いわゆる〈日本美〉が形成されることになる。門松を立てる歳時習俗なども,それが定形化するのは中世以後である。

 志賀重昂の《日本風景論》(1894)の〈日本松国説〉には旧藩臣の教養を支えた儒教思想の因子が強く働いていたことがみてとれるが,それはむしろ当然である。それが刊行される17年前の明治10年(1877)1月1日付の《ベルツの日記》は〈家々の前にはタケとマツが立ち,ちょうど聖霊降臨祭の季節のドイツの町のようだ。以前にはこの風習は普通であったそうだ。これらの植物の緑は,君主がこの植物のように新しい年を迎えて元気潑剌(はつらつ)たらんことを祈る意味であるとか〉と記す。〈とか〉といったのは,来日早々で日本語をまだ解さないお雇外国人教師ベルツに,だれか文明開化期の日本人インテリが,ドイツ語で説明して聞かせたことを意味する。そうしてみると,明治初年までは,マツやタケを門前に飾ったり各家庭の床の間に生けたりするのは,必ずしも個人的幸福や家内安全を祈念する目的からではなく,むしろ第一義的には,支配者の繁栄隆昌を祈念する目的からなされた行為だった,ということができ,1890年代になって〈教育勅語〉教育体制がとられてから,この門松儀礼は集中点を見いだし,小学唱歌にも〈松竹たてて門ごとに 祝ふ今日こそ楽しけれ〉〈君がみかげに比(たぐ)へつつ 仰ぎ見るこそ尊けれ〉と歌われるように変わってくる。

 しかし,以上の推移はあくまで公的レベルのもので,中世・近世以後台頭した庶民文化のレベルでは,松の美しい眺めが人々の目を楽しませてきたことも確実である。金井紫雲《松》(1946)の要約に従うと,〈松によって形成せらる景観の美は,凡そ三種に区別することが出来る。即ち,松のみ群生繁茂した集合的美観,一株二株姿勢の趣きのある松による単独的美観,他の植物との綜合的美観である。第一の集合的美は松原となり,松山となり,松林となり全国到る処にその美しさが展開されてゐる。第二の単独的美は野径にあり,曠野にあり庭砌にあり山頂にあり,或は神社仏閣の境内に,或は名所旧蹟に,伝説故事に彩られ,縁起由来に位づけられて存在し,第三は他の闊葉樹と混成繁茂した綜合的景観で,春は山桜の美と相映じ,秋は紅葉の彩と交錯して特殊の美しさを呈するのである〉。松の名所,松の名木,松の伝説,松の文芸,松の演劇などを支えてきたのも,民衆の力であった。
門松 →松竹梅 →松の内 →松迎え
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松は日本では古くから長寿を意味する瑞木とされて好まれてきた。平安時代には,吉祥文様として定着し,調度品や衣服に用いられている。木そのものの文様としては老松,若松,松木立などがあり,また,松竹梅,松喰鶴など他の動物文,植物文,人物文などと組み合わされてさまざまな複合文様を生んでいる。また松かさ,松葉,松皮なども意匠として独立し,家紋にも数多く用いられている。
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ギリシア神話によれば,松はニンフの一人ピテュスPitysが化身した木といわれる。彼女は牧神パンと北風の神ボレアスに同時に愛されたが,パンの愛を受けいれたためにボレアスに吹きとばされ,哀れんだ大地の女神ガイアによって松になったとも,パンを避けるために変身したともいう。また,古代ギリシアのイストミア祭においては勝利のシンボルとして松の枝の輪が贈られたといい,ローマ人は森林と荒れ地の神シルウァヌスの木とみなした。ヨーロッパでは松をモミ(樅)と混同する場合が多く,〈不死〉〈長命〉〈永遠の若さ〉といった象徴的意味も共通している。松はアメリカに移住した清教徒たちの標章となり,彼らは松を刻印した〈松の木貨幣pine-tree money〉を鋳造した。なお,メーン州はPine Tree Stateと呼ばれ,州章に松を用いている。松は松籟(しようらい)を発するところから古来風と対話する植物とも信じられ,また高山や海岸など強風の吹く地域に好んで生えるというので,ケルト人は豪毅の象徴とした。花言葉は〈哀れみ〉〈大胆と誠実〉。
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裸子植物,球果目(松柏目)の樹木。針葉樹で,葉には針葉と鱗片葉とがある。雌雄異花で,いずれも球花をつくる。球果目では,雌球花は花軸上にらせん配列した多数の果鱗複合体からなる。この果鱗複合体は苞鱗と種鱗とからなり,前者はうすい膜質で,後者は厚い多肉質である。マツ科では両者は離生し,基部だけで合着している。〈葉性の苞鱗に腋生した軸生の種鱗〉というのが器官学的解釈である。種鱗の上面基部に1対の倒生胚珠をつけ,熟すと翼をもった種子になる。雄性球花は花軸にらせん配列した小胞子葉(おしべ)からなり,下面に1対の小胞子囊(花粉囊)をつける。花粉にはカラマツ属,トガサワラ属をのぞいて1対の気囊がある。マツ科は10属220種が北半球のおもに温帯に分布する。長枝と短枝があり,前者に鱗片葉,後者に針葉をつけるマツ亜科(マツ属Pinus),長枝にも針葉がつくカラマツ亜科(カラマツ属Larix,イヌカラマツ属Pseudolarix,ヒマラヤスギ属Cedrus),および短枝のないモミ亜科(モミ属Abies,ツガ属Tsuga,トウヒ属Picea,トガサワラ属Pseudotsuga,ユサン属Keteleeria)の3亜科に分類される。中国四川省にあるカタヤ属Cathayaはトガサワラ属に似るが,短枝と長枝があり,所属を決めがたい。アカマツ,エゾマツ,トドマツ,カラマツなど林業上重要な樹種が多いが,自然林としても,低地(アカマツ),低山帯(モミ,ツガ),亜高山帯(シラビソ,コメツガ)で主要な景観をつくっている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マツ」の意味・わかりやすい解説

マツ(松)
マツ
Pinus; pine

マツ科マツ属の樹木の総称で,通常は常緑高木であるがまれにハイマツ (這松)のような低木もある。北半球に広く分布し,約 90種が知られる。樹皮は裂溝のあるもの,または鱗片状にはがれるものがあり,葉は脱落性の鱗片葉と針葉の2種をもつ。針葉は短枝に2~5枚ずつ束生し,種類によってこの数が定まっているので2葉性,3葉性,5葉性 (いわゆる五葉松) などに区別する。4~6月に開花,雌雄同株で,雄花は新枝の基部に群生し,黄,橙または緋色のものもあり,無柄の穂状。雌花は球形で新枝に腋生または頂生し,緑色または紫色である。受粉後1年以上もかかって成熟する球果は円柱形でいわゆる松かさをつくり,木質の宿存する鱗片がある。種子は膜状の翼を有し鱗片の内面に2個ずつ生じる。日本にはアカマツ (赤松)クロマツ (黒松)ヒメコマツ (姫小松)チョウセンゴヨウ (朝鮮五葉),タカネゴヨウ,ハイマツ,リュウキュウマツの7種が自生する。庭園樹として普通に植えられ,材は建築,土木,家具,細工物に利用される。チョウセンゴヨウの種子は食用とする。またアカマツ,クロマツから樹脂をとり,テレビン油,松やに,タールをつくる。

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百科事典マイペディア 「マツ」の意味・わかりやすい解説

マツ(松)【マツ】

マツ科マツ属の常緑高木〜低木の総称。北半球に約100種があり,日本にはアカマツクロマツ,チョウセンゴヨウ,ゴヨウマツハイマツ,ヤクタネゴヨウ,リュウキュウマツなどが自生。葉は針状で2〜5本束生,断面は三角形〜半円形をなし,2〜10個の樹脂溝がある。雌雄同株。果実は多数の鱗片がらせん状につき,翌年秋に成熟する。アカマツとクロマツの材は建材,器具,薪炭,パルプなど種々の用途があり,幹からは松脂(まつやに)をとる。クロマツ,ゴヨウマツは観賞用,特に盆栽とされる。またダイオウショウなどが外国から渡来し,庭木,街路樹などとして,各地に植栽されるものも多い。

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世界大百科事典(旧版)内のマツの言及

【マツムシ(松虫)】より

…草の根際にすむ。直翅目マツムシ科Eneopteridaeの昆虫。東南アジアに広く分布し,日本では本州までいる。…

※「マツ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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