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岡本かの子 おかもと かのこ

デジタル大辞泉の解説

おかもと‐かのこ〔をかもと‐〕【岡本かの子】

[1889~1939]小説家・歌人。東京の生まれ。本名、カノ。女学校在学中から新詩社に参加、「明星」「スバル」に短歌を発表。漫画家岡本一平と結婚。仏教の研究家としても知られる。歌集「かろきねたみ」、小説「鶴は病みき」「母子叙情」「老妓抄」「河明り」「生々流転」など。

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百科事典マイペディアの解説

岡本かの子【おかもとかのこ】

小説家,歌人。本名カノ。多摩川畔二子(ふたこ)の旧家大貫家の長女として,東京青山の別邸に生まれる。跡見高女卒。与謝野晶子に師事して作歌。22歳で岡本一平と結婚したが,夫との性格的対立に悩みつづけ,仏教研究に入った。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

岡本かの子 おかもと-かのこ

1889-1939 大正-昭和時代前期の歌人,小説家。
明治22年3月1日生まれ。岡本太郎の母。兄大貫晶川(おおぬき-しょうせん)の影響をうけ,「明星」「スバル」に短歌を発表。明治43年画家岡本一平と結婚後,実家の没落や夫婦間の対立などでなやみ,仏教の世界にはいる。昭和4年一家でパリにいき,帰国後「鶴は病みき」「母子叙情」「老妓抄」などを発表した。昭和14年2月18日死去。51歳。東京出身。跡見女学校卒。本名はカノ。
【格言など】あたしが万一いなくなった場合も,家の生活は平常通りよ。よくって(死の前年に夫へ)

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世界大百科事典 第2版の解説

おかもとかのこ【岡本かの子】

1889‐1939(明治22‐昭和14)
小説家,歌人。東京の生れ。生家の大貫家は代々幕府および諸藩の御用達を業とした豪商。兄大貫晶川(しようせん)は一高時代から谷崎潤一郎と親交があり,《明星》に寄稿し,谷崎らと第2次《新思潮》を刊行した文学者。かの子は兄の影響をうけ,《明星》に新体詩や和歌を発表,《スバル》の同人にもなった。1910年に画家岡本一平と結婚したが,性格上の衝突など夫婦間の問題に悩み,ついに仏教にたどり着く。この間,《青鞜》に参加,また《かろきねたみ》(1912),《愛のなやみ》(1918)などの歌集を刊行した。

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大辞林 第三版の解説

おかもとかのこ【岡本かの子】

1889~1939) 小説家・歌人。東京生まれ。本名、カノ。一平の妻。跡見女学校卒。「鶴は病みき」で文壇にデビュー、長い宗教遍歴のあとたどりついた生命哲学を、小説「母子叙情」「金魚撩乱」「老妓抄」「生々流転」などに結晶させた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

岡本かの子
おかもとかのこ

[生]1889.3.1. 東京
[没]1939.2.18. 東京
小説家,歌人。本名,カノ。跡見女学校卒業。与謝野晶子に師事,『明星』『スバル』に投稿して歌才を認められ,歌集『かろきねたみ』 (1912) ,『愛のなやみ』 (18) を刊行。漫画界の祖といわれた岡本一平との結婚 (10) により徐々にその天分を伸ばし,芥川龍之介をモデルにした小説『鶴は病みき』 (36) で文名を得た。 37年『母子叙情』『金魚撩乱』,38年『巴里祭』『東海道五十三次』『老妓抄』を発表したが,この年,脳溢血で倒れ,翌年作家としては短すぎる活動の生涯を終えた。死後,『生々流転』『雛妓』『女体開顕』などの名作が続々遺作として発表され世人を驚嘆させた。洗練された都会趣味と華麗な近代感覚,旧家の出身ゆえの家霊の意識,仏教思想による女の業の哀切感などが織りなす独特の耽美的作風で,文体にも比類のない絢爛さを示した作家であった。画家岡本太郎の母。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

岡本かの子
おかもとかのこ
(1889―1939)

小説家、歌人。明治22年3月1日、東京に生まれる。跡見女学校入学のころより『文章世界』『読売新聞』文芸欄などに短歌、詩を投稿。第二次『新思潮』に属する次兄雪之助(大貫晶川(おおぬきしょうせん))とその友人谷崎潤一郎の影響を受ける。同女学校卒業後、1906年(明治39)与謝野鉄幹(よさのてっかん)、晶子(あきこ)の新詩社に加わり、『明星(みょうじょう)』から浪漫(ろうまん)派歌人として出発、同誌廃刊後は『スバル』同人となる。
 東京美術学校の画学生岡本一平を知り、1910年結婚。翌年長男太郎誕生。平塚らいてうに誘われ青鞜社(せいとうしゃ)に参加。同社より木版手刷りの処女歌集『かろきねたみ』(1912)を上梓(じょうし)。一平が『朝日新聞』に漫画連載を始め、経済的な安定を得るが、夫妻間の自我の葛藤(かっとう)で家庭は危機に瀕(ひん)し、14年(大正3)前半、かの子は強度の神経衰弱で入院、療養生活を送る。以後宗教に救いを求め、親鸞(しんらん)のほか仏教各派を研究、独自の生命哲学に赴いた。第二歌集『愛のなやみ』(1918)刊行。以後10年ほどは仏教思想家、歌人として活躍、また戯曲や小説の試作を始める。第三歌集『浴身』(1925)。29年(昭和4)12月『わが最終歌集』を刊行後、一家でパリに遊学。ロンドン、ベルリンにも長期滞在した。32年、絵画修業中の太郎をパリに残し、アメリカ経由で帰国した。
 以後も仏教関係の仕事に多忙であったが、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)をモデルにした小説『鶴(つる)は病みき』(1936)を川端康成(やすなり)の推薦で『文学界』に発表、文壇にデビューした。ついで『母子叙情』(1937)は大きな反響をよび、さらに『花は勁(つよ)し』『過去世』『金魚撩乱(りょうらん)』(ともに1937)、『老妓抄(ろうぎしょう)』(1938)、『家霊(かれい)』(1939)など死に至る短期間に代表作の数々を発表した。1938年(昭和13)12月油壺(あぶらつぼ)の宿で脳充血に倒れ、翌年2月18日没。死後『河明り』『生々流転』(1939)、『女体開顕』(1940)などの遺稿が発表された。濃密な感覚の惑溺(わくでき)と鋭く醒(さ)めた人間洞察とが交錯し、渾沌(こんとん)がやがて芳醇(ほうじゅん)なあふれる生命力に包み込まれる独特な作品世界は、伝説的な生涯の彷徨(ほうこう)の総決算を思わせる。 [田中美代子]
『『岡本かの子全集』15巻・補巻1・別巻2(1974~78・冬樹社) ▽岡本太郎・岡本一平著『岡本かの子の世界』(1976・冬樹社)』

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