ラサリーリョデトルメスの生涯(読み)ラサリーリョデトルメスノショウガイ(英語表記)Vida de Lazarillo de Tormes

デジタル大辞泉 の解説

ラサリーリョデトルメスのしょうがい〔‐のシヤウガイ〕【ラサリーリョデトルメスの生涯】

《原題、〈スペインLa Vida de Lazarillo de Tormes》スペインの小説。作者未詳。1554年版が現存最古。少年ラサリーリョが、怪しげな生業の主人に次々と仕え、のちにその体験を冷笑的に物語る形の自伝体悪漢小説

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精選版 日本国語大辞典 の解説

ラサリーリョデトルメスのしょうがいラサリーリョデトルメスのシャウガイ【ラサリーリョデトルメスの生涯】

  1. ( 原題[スペイン語] La vida de Lazarillo de Tormes ) 小説。作者未詳。一五五四年の版が現存最古。最下層に生まれ育った少年ラサリーリョを主人公とした自伝体の小説。悪漢小説の先駆

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改訂新版 世界大百科事典 の解説

ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯 (ラサリーリョデトルメスのしょうがい)
Vida de Lazarillo de Tormes

1554年に出版された作者不詳の小説。16,17世紀のスペインで大流行し,その後のヨーロッパ・リアリズム小説に大きな影響を与えた悪者小説と呼ばれるジャンルの嚆矢(こうし)となった。文学史的には,当時流行していた騎士道小説や牧人小説に見られる極端な理想主義的傾向に対する反動として現れたと考えられる。社会の最下層に育った少年ラサロは生活のため,盲人,貧しい聖職者,すかんぴんのくせに自尊心だけは強い郷士,そしてメルセード修道会士など,さまざまな主人に仕えるが,最後にトレド市の〈ふれ役〉という官職にありつき,首席司祭の情婦と結婚する。そして〈わたしは富み栄えて,幸福の絶頂に立っていたのでございます〉という言葉で,その身の上話を終える。このように悪者小説の定型となる一人称の自伝体で体験を語ることによって,作者はさまざまな人間の姿を,また社会の現実の諸相を風刺的,批判的に,しかしユーモアをこめて描出している。そして,ここでの基本的テーマは〈飢え〉あるいは〈貧窮〉であって,これにより社会の下層の人々,あるいは社会の恥部が文学において初めて市民権を得ることになったのである。本書は出版と同時に大成功を収め,翌年には〈続編〉も現れ,1560年にはフランス語訳が,76年には英語訳が,そして1617年にはドイツ語訳が現れた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯
ラサリーリョ・デ・トルメスのしょうがい
La vida de Lazarillo de Tormes, y de sus fortunas y adversidades

スペインの悪者小説の最初の作品で,原題は『ラサリーリョ・デ・トルメス,その幸運と不運の生涯』。作者未詳。 1554年にアルカラ,ブルゴス,アントウェルペンで出版された版本が現存する最古のもの。「新たに増補せる第2版」とアルカラ版にあり,種々の資料から 39年以前に書かれたものと推定される。作者としては,ディエゴ・ウルタド・デ・メンドサ,セバスティアン・デ・オロスコ,フアン・デ・オルテガの名があげられているが,いずれも確証はない。物語は一人称による自伝の形式をとり,手癖のよくない粉屋の伜ラサロが,父の死後,モーロ人の馬丁と情を通じた母によって盲目の乞食に売られたのを皮切りに,吝嗇漢の坊主,気位ばかり高い貧乏従士,淫売宿の亭主などに仕えて苦労を重ねたのち,水売り,おふれ係になって落ち着き,庇護者の司祭の妾をそれと知りつつめとるまでを語る。人間性と風俗の的確な観察から生れたピカロ picaro,すなわち現実主義的な人生観の権化ともいうべきアンチ・ヒーローを中心にした,この悪者小説 novela picarescaの出現は,当時流行の牧歌小説,特に騎士道小説のような理想主義的な作品の衰退を早める役割を果し,写実的な近代小説の誕生に貢献した。 17世紀のアレマンケベド・イ・ビリエガスエスピネルらによる悪者小説の隆盛,さらにはフランス,イギリスにおけるその流布も,この匿名の小さな書物に胚種をもつ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯
らさりーりょでとるめすのしょうがい
La vida de Lazarillo de Tormes

スペインの小説。作者不詳。現存するもっとも古い版は1554年のものだが、それよりも古い版があったと推定されている。この物語は、あまり自慢にならない両親の間に生まれたラサリーリョの成長の過程を、庇護(ひご)者にあてた手紙で語る形式をとっている。ラサリーリョはまず、たいへん悪知恵にたけた盲人の手引となり、絶えず飢えに苦しめられながら、そこから逃げ出す才覚を身につけさせられる。ついで吝嗇(りんしょく)きわまりない聖職者、体面感情ばかりが強い従士、ペテン師の免罪符売りなどに仕え、いまでは主席司祭との関係が噂(うわさ)されている女と結婚して、幸せの絶頂にいるという皮肉なことばで終わっている。簡潔なことばで他の階級の人々の生活を批判的に描いていたこの短い小説は、そこにみられる批判精神、描写力、ユーモアなどによって、ピカレスク小説の傑作となっている。

[桑名一博]

『会田由訳『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』(岩波文庫)』

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百科事典マイペディア の解説

ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯【ラサリーリョデトルメスのしょうがい】

スペインのピカレスク小説。1554年出版。盲目の乞食,恐ろしく貪欲(どんよく)な司祭,一文なしのくせに気位ばかり高い従士などに仕えた下層出身の少年が,みずからの遍歴の体験を一人称で語ることにより,16世紀のスペイン社会とそこに住む人間たちの汚濁を痛烈に風刺した作品。この小説が,現代にまで続く悪者(ピカレスク)小説の嚆矢となった。
→関連項目アレマン悪者小説

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世界大百科事典(旧版)内のラサリーリョデトルメスの生涯の言及

【スペイン文学】より


[小説]
 16世紀前半に隆盛をきわめたのは《アマディス・デ・ガウラ》を頂点とする,中世の騎士道を理想化した騎士道物語であるが,こうした理想主義的傾向への反動として現れたのが,〈悪者〉の遍歴を通して社会悪を風刺する〈悪者小説(ピカレスク)〉である。1554年に出版された作者不詳の《ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯》がその嚆矢となったが,このジャンルはマテオ・アレマンの《悪者グスマン・デ・アルファラーチェの生涯》を経て,スペイン・バロック期最大の文人フランシスコ・デ・ケベードの《かたり師,ドン・パブロスの生涯》でその極に達した。そして不朽の名作《ドン・キホーテ》により,上述の二つの小説の傾向を融合し,創造の中に創造の批判を根づかせることによって厳密な意味での近代小説をつくり出したのがミゲル・デ・セルバンテスである。…

【悪者小説】より

…とくに,社会の下層階級の人々をリアルに描く伝統のあったスペイン文学には,J.ルイスの《よき愛の書》やフェルナンド・デ・ロハスの《セレスティーナ》といった,直接的な先駆というべき傑作がすでにあった。しかし厳密な意味での〈悪者小説〉は,1554年に出た作者不詳の《ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯》をもってその嚆矢(こうし)とするというのが定説である。この出版を文学史的に位置づけてみると,当時スペイン文学を風靡(ふうび)していたのは騎士道小説や牧人小説であったが,それらのあまりに現実離れした理想主義に対する諧謔的な,そしてしんらつな反動として,この小説が現れたと考えられる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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