1554年に出版された作者不詳の小説。16,17世紀のスペインで大流行し,その後のヨーロッパ・リアリズム小説に大きな影響を与えた悪者小説と呼ばれるジャンルの嚆矢(こうし)となった。文学史的には,当時流行していた騎士道小説や牧人小説に見られる極端な理想主義的傾向に対する反動として現れたと考えられる。社会の最下層に育った少年ラサロは生活のため,盲人,貧しい聖職者,すかんぴんのくせに自尊心だけは強い郷士,そしてメルセード修道会士など,さまざまな主人に仕えるが,最後にトレド市の〈ふれ役〉という官職にありつき,首席司祭の情婦と結婚する。そして〈わたしは富み栄えて,幸福の絶頂に立っていたのでございます〉という言葉で,その身の上話を終える。このように悪者小説の定型となる一人称の自伝体で体験を語ることによって,作者はさまざまな人間の姿を,また社会の現実の諸相を風刺的,批判的に,しかしユーモアをこめて描出している。そして,ここでの基本的テーマは〈飢え〉あるいは〈貧窮〉であって,これにより社会の下層の人々,あるいは社会の恥部が文学において初めて市民権を得ることになったのである。本書は出版と同時に大成功を収め,翌年には〈続編〉も現れ,1560年にはフランス語訳が,76年には英語訳が,そして1617年にはドイツ語訳が現れた。
執筆者:牛島 信明
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スペインの小説。作者不詳。現存するもっとも古い版は1554年のものだが、それよりも古い版があったと推定されている。この物語は、あまり自慢にならない両親の間に生まれたラサリーリョの成長の過程を、庇護(ひご)者にあてた手紙で語る形式をとっている。ラサリーリョはまず、たいへん悪知恵にたけた盲人の手引となり、絶えず飢えに苦しめられながら、そこから逃げ出す才覚を身につけさせられる。ついで吝嗇(りんしょく)きわまりない聖職者、体面感情ばかりが強い従士、ペテン師の免罪符売りなどに仕え、いまでは主席司祭との関係が噂(うわさ)されている女と結婚して、幸せの絶頂にいるという皮肉なことばで終わっている。簡潔なことばで他の階級の人々の生活を批判的に描いていたこの短い小説は、そこにみられる批判精神、描写力、ユーモアなどによって、ピカレスク小説の傑作となっている。
[桑名一博]
『会田由訳『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』(岩波文庫)』
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[小説]
16世紀前半に隆盛をきわめたのは《アマディス・デ・ガウラ》を頂点とする,中世の騎士道を理想化した騎士道物語であるが,こうした理想主義的傾向への反動として現れたのが,〈悪者〉の遍歴を通して社会悪を風刺する〈悪者小説(ピカレスク)〉である。1554年に出版された作者不詳の《ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯》がその嚆矢となったが,このジャンルはマテオ・アレマンの《悪者グスマン・デ・アルファラーチェの生涯》を経て,スペイン・バロック期最大の文人フランシスコ・デ・ケベードの《かたり師,ドン・パブロスの生涯》でその極に達した。そして不朽の名作《ドン・キホーテ》により,上述の二つの小説の傾向を融合し,創造の中に創造の批判を根づかせることによって厳密な意味での近代小説をつくり出したのがミゲル・デ・セルバンテスである。…
…とくに,社会の下層階級の人々をリアルに描く伝統のあったスペイン文学には,J.ルイスの《よき愛の書》やフェルナンド・デ・ロハスの《セレスティーナ》といった,直接的な先駆というべき傑作がすでにあった。しかし厳密な意味での〈悪者小説〉は,1554年に出た作者不詳の《ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯》をもってその嚆矢(こうし)とするというのが定説である。この出版を文学史的に位置づけてみると,当時スペイン文学を風靡(ふうび)していたのは騎士道小説や牧人小説であったが,それらのあまりに現実離れした理想主義に対する諧謔的な,そしてしんらつな反動として,この小説が現れたと考えられる。…
※「ラサリーリョデトルメスの生涯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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