フランスのモラリスト。由緒ある大貴族の子としてパリに生まれる。14歳で結婚,15歳で軍務につき,当時の軍人大貴族の例にもれず,あるいは戦場で戦闘に,あるいは宮廷で恋愛と政治的陰謀に明け暮れる日々を送る。ルイ13世治下では宰相リシュリューに対する数々の陰謀に関係し,一時バスティーユに投獄され,追放処分を受ける。リシュリューの死(1642)後,宮廷に戻るが,フロンドの乱が起こると愛人ロングビル公爵夫人とともに反乱軍に身を投ずる。しかし52年,サンタントアーヌの攻防で重傷を負い,以後戦闘から遠ざかる。翌年帰順し,59年には年金を受け,宮廷との関係も回復するが,国王ルイ14世の信頼をかちうるには至らず,失意と無聊の日々をサロンでの会話,読書,思索で慰めた。とくにサブレ夫人のサロンの常連となり,またラファイエット夫人とは親密な友情で結ばれた。夫人が《ザイード》と《クレーブの奥方》を書くにあたっては助言と協力を惜しまなかったといわれる。作家としての彼の名声を高めたのは,1664年に出版され,その後絶えず加筆訂正を加えられ,生前に5版(最終版は1678)を重ねた《箴言集》である。サブレ夫人とジャック・エスプリとの格言のやりとりから生まれた本書は,当時のサロンで流行していた格言の形式に,鋭い心理分析とペシミスティックな人間観察を盛りこんで衝撃を与えた。〈われわれの徳行はたいていの場合,偽装した悪徳にすぎない〉というエピグラフに象徴されるように,著者は人間の高貴な感情の大部分が自己愛すなわちエゴイズムと非合理的な情念に支配されていることを容赦なく暴きだす。比類なき明晰さと簡潔で正確極まる表現を備えた本書は,モラリスト文学の傑作である。ほかに自らの見聞した宮廷の権力闘争,とくにフロンドの乱の立役者たちの暗躍を活写した《回想録》(1662)を残した。
執筆者:塩川 徹也
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…後年,自身もサロンを開き,特にジャンセニスト系の人々が集まり,思想,文学を論じた。短い文の中に鋭く真理をえぐるマクシム(格言)を書くのが流行したのはこのサロンであり,サブレ夫人自身も《格言集》(1678)を印刷しているが,特にラ・ロシュフーコーの名高い《箴言(しんげん)集》が,このサロンでの論議から生まれたことが注目される。【福井 芳男】。…
…この時期には,パリをまねた地方都市のサロンも多くなった。17世紀にはそのほか,ラ・ロシュフーコーの《箴言集》や,J.deラ・フォンテーヌの《寓話》を生み出したサブレ夫人のサロン,多少軽佻な趣があったスカロン夫人Mme.Scarron(1635‐1719。のちのマントノン夫人marquise de Mantenon)のサロンなどがあり,17世紀末には自由思想家(リベルタン)たちを集めたニノン・ド・ランクロNinon de Lenclos(1620‐1705)のサロンも出現した。…
※「ラロシュフーコー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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