改訂新版 世界大百科事典 「ラーマカムヘン」の意味・わかりやすい解説
ラーマカムヘン
Ramakhamhaeng
生没年:1239ころ-?
タイのスコータイ朝第3代の王。在位は1275年ころから99年あるいは1317年ころ。スコータイ朝の創設者シーイントラティット王の三男。タイ国史上最大の王として知られ,ラーマカムヘン・マハーラート(大王)と呼ばれている。現存する最古のタイ語碑文である〈ラーマカムヘン王碑文〉(1292)の記載によると,彼は若くしてすでに武勇の誉れ高く,王となっては各地に遠征を行い,その版図を北はラオスのルアンプラバン,ビエンチャンから,南はマレー半島のリゴール(ナコーンシータマラート),西はインド洋岸にまで広げた。《元史》によると,1292,93年以降ラーマカムヘン治下のスコータイは〈暹(せん)〉の名で中国に入貢している。同じ碑文によると,国内においては臣下はみなあつく仏教を信奉し,温情的な王の支配の下,公正な裁判が行われ,人々は〈水に魚あり,田に稲ある〉豊かな生活を送ったという。この王に関しては,自身の中国訪問,のちに宋胡録(すんころく)焼として重要な輸出品となる陶器生産のための陶工の導入などのほか,〈プラルアン伝説〉といわれるさまざまな伝説が伝えられているが,いずれも信憑性が低い。王は南方のリゴールから招いた大僧正のためスコータイの西郊にアランニク寺を建立して寄進し,みずからこれを訪れるなど,崇仏の範を示した。王の死後,王位は子のルータイが継承したが,その繁栄を持続できず地方政権へと衰退し,やがて南方に勃興したアユタヤに併合されてしまう。
執筆者:石井 米雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報