翻訳|Vientiane
ラオスの首都で,同名省の省都。都市域人口72万(2003)。メコン川中流域の河岸平野の中央部,河口から1584kmさかのぼった左岸に位置し,対岸はタイ領で,橋で結ばれている。河川および道路により国内各地へ通じ,政治,文化の中心地となっている。ラオ族のほかに華僑,ベトナム人が多い。この地は早くから開け,碑文などの史料によれば,12世紀には大きな集落があったという。16世紀半ばに中国やベトナムの史書に万象国の名で記されているランサン王国の首都となり,同王国が1707年に分裂してからはビエンチャン王国の首都となった。1827年チャオ・アヌ王がシャム(タイ)に敗れ,王国はタイに併合された。99年からはフランス領インドシナの理事長官が常駐し,ラオス全土を掌握した。1953年のラオス完全独立によりその首都となった。市内はメコン川に沿って細長く,中心部にはフランス領時代の官庁の建物が建ち,森の都といわれるほど樹林が多い。独立後,市街地は東部へひろがり,政府の建物が目だつ。仏教国の首都だけあって,市内随所に約20の名刹がある。
執筆者:石沢 良昭 ビエンチャン市内にあり,ラオスで最もよく知られる仏教寺院タート・ルアンThat Luangは,ランサン王国の第18代目の王セーターティラートによって1566年に造営された。内部には仏舎利が秘蔵されると伝えられ,建築全体が古代インドの宇宙観にみる須弥山(しゆみせん)(メール山)を具現し,ラオス建築独特の形をみせている。外周の回廊は1辺が85mもある。
執筆者:伊東 照司
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ラオスの首都。メコン川の河口から1584キロメートル上流の左岸、タイとの国境の標高300メートルに位置する。ビエンチャンとは「ビャクダンの都」の意。人口67万2400(2003推計)。古くからこの地方にあったラオ王朝の都の一つで、1827年にタイに占領され破壊されたが、20世紀に入ってフランス領ラオスの中心地として再建された。1953年の独立後は行政上の首都、75年の王政廃止後、名実ともに首都となった。住民はラオ人のほかに中国人、ベトナム人が多い。市街はメコン川に注ぐ支流のナムバサック川によって東西に分かれている。独立後ことに東部が開け、中央政庁をはじめ近代的な建物が多く国営市場もある。かつては寺院が80もあったといわれるが、19世紀にタイ人に破壊され、現在は20余を残すのみである。釈迦(しゃか)の髪が納められているというタート・ルアン、考古博物館のあるワット・プラケオ、ワット・シーサゲットなどが有名である。周辺はラオス最大の沖積平野であるビエンチャン平野が広がり、水田や疎林があり、米、野菜のほかサトウキビ、タバコ、岩塩が産出される。市の北方約30キロメートルには奇岩で知られるダンスオンの奇勝地やプーカオクワイの避暑地がある。
[菊池一雅]
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