ビエンチャン(英語表記)Vientiane

翻訳|Vientiane

デジタル大辞泉 「ビエンチャン」の意味・読み・例文・類語

ビエンチャン(Vientiane)

ラオス人民民主共和国の首都。タイとの国境となるメコン川中流の北岸にある河港都市。稲作が行われる。1560年、ランサン王朝のセーターティラート王の時代にルアンパバンより遷都。以降、タイによる征服やフランス統治時代を通じて首都が置かれた。黄金の仏塔タートルアン、パリのエトワール凱旋門を模したパトゥーサイなどがある。人口、都市圏53万(1995)。

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精選版 日本国語大辞典 「ビエンチャン」の意味・読み・例文・類語

ビエンチャン

  1. ( Vientiane ) ラオス人民民主共和国の首都。インドシナ半島中部、メコン川の左岸にある。一六世紀中頃ランチャン王国(一四世紀に建てられたラオ族国家)の首都となった古都で、王宮やパゴダなど多くの遺跡がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「ビエンチャン」の意味・わかりやすい解説

ビエンチャン
Vientiane

ラオスの首都で,同名省の省都。都市域人口72万(2003)。メコン川中流域の河岸平野の中央部,河口から1584kmさかのぼった左岸に位置し,対岸はタイ領で,橋で結ばれている。河川および道路により国内各地へ通じ,政治,文化の中心地となっている。ラオ族のほかに華僑,ベトナム人が多い。この地は早くから開け,碑文などの史料によれば,12世紀には大きな集落があったという。16世紀半ばに中国やベトナムの史書に万象国の名で記されているランサン王国の首都となり,同王国が1707年に分裂してからはビエンチャン王国の首都となった。1827年チャオ・アヌ王がシャム(タイ)に敗れ,王国はタイに併合された。99年からはフランス領インドシナの理事長官が常駐し,ラオス全土を掌握した。1953年のラオス完全独立によりその首都となった。市内はメコン川に沿って細長く,中心部にはフランス領時代の官庁の建物が建ち,森の都といわれるほど樹林が多い。独立後,市街地は東部へひろがり,政府の建物が目だつ。仏教国の首都だけあって,市内随所に約20の名刹がある。
執筆者: ビエンチャン市内にあり,ラオスで最もよく知られる仏教寺院タート・ルアンThat Luangは,ランサン王国の第18代目の王セーターティラートによって1566年に造営された。内部には仏舎利が秘蔵されると伝えられ,建築全体が古代インドの宇宙観にみる須弥山(しゆみせん)(メール山)を具現し,ラオス建築独特の形をみせている。外周回廊は1辺が85mもある。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビエンチャン」の意味・わかりやすい解説

ビエンチャン
Vientiane

ラオスの首都。ラオス中部西寄りにあり,タイとの国境をなすメコン川に臨む。古くからラオ族の中心地の一つで,14世紀半ば以降ラーンサーン王国の版図に入り,1563年北のルアンプラバンに代わってラーンサーン王国の首都となった。1707年ラーンサーン王国がルアンプラバン王国とビエンチャン王国に分裂してからは,ビエンチャン王国の首都として繁栄したが,のちタイの支配下に置かれ,1828年にはタイの侵攻により大きく破壊された。1899年ラオスがフランス領インドシナに編入されるとともに,その行政府が市に置かれた。1953年のフランス=ラオス条約によりラオス王国の完全独立が認められると,ルアンプラバンの王都に対して,市は行政首都となり,1975年ラオス人民民主共和国の成立後単独の首都となった。ラオス最大の都市で,商工業の中心地。農産物,木材,シェラック(天然樹脂の一種),絹織物,家畜,皮革などを集散する。商業活動はこれまでおもにインド系,中国系,ベトナム系の住民によって担われてきた。近代工業が未発達のラオスにおいて,実質的に唯一の工業中心地で,市内外にはたばこ,プラスチック製袋,ゴムサンダル,精米,製材,煉瓦,タイル,織物などの工場がある。市内には仏教寺院が多く,文化中心地として国立博物館,パーリ・サンスクリット研究所などがあり,シサバンボン大学など高等教育機関が集まる。ルアンプラバンやベトナムの首都ハノイなどと道路で結ばれるが,内外の都市との連絡は空路に大きく依存する。メコン川対岸のノーンカーイフェリーで結ばれ,タイの鉄道・道路網と連絡する。人口 19万4200(2003推計)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビエンチャン」の意味・わかりやすい解説

ビエンチャン
びえんちゃん
Vientiane

ラオスの首都。メコン川の河口から1584キロメートル上流の左岸、タイとの国境の標高300メートルに位置する。ビエンチャンとは「ビャクダンの都」の意。人口67万2400(2003推計)。古くからこの地方にあったラオ王朝の都の一つで、1827年にタイに占領され破壊されたが、20世紀に入ってフランス領ラオスの中心地として再建された。1953年の独立後は行政上の首都、75年の王政廃止後、名実ともに首都となった。住民はラオ人のほかに中国人、ベトナム人が多い。市街はメコン川に注ぐ支流のナムバサック川によって東西に分かれている。独立後ことに東部が開け、中央政庁をはじめ近代的な建物が多く国営市場もある。かつては寺院が80もあったといわれるが、19世紀にタイ人に破壊され、現在は20余を残すのみである。釈迦(しゃか)の髪が納められているというタート・ルアン、考古博物館のあるワット・プラケオ、ワット・シーサゲットなどが有名である。周辺はラオス最大の沖積平野であるビエンチャン平野が広がり、水田や疎林があり、米、野菜のほかサトウキビ、タバコ、岩塩が産出される。市の北方約30キロメートルには奇岩で知られるダンスオンの奇勝地やプーカオクワイの避暑地がある。

[菊池一雅]

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百科事典マイペディア 「ビエンチャン」の意味・わかりやすい解説

ビエンチャン

ラオスの首都。同国西部,タイ国境に近く,メコン川左岸の河港都市。木材,ゴム,ラック,絹織物,皮革などの取引が盛んで銀細工が行われる。旧王宮,考古博物館,医大がある。多数のパゴダ建築でも有名。華僑(かきょう)が人口の約20%を占める。16世紀以降ランサン王国,18世紀初頭はビエンチャン王国の主都として繁栄した。1899年フランス領インドシナ行政官の駐在所となり,1953年ラオス独立とともに首都。1994年,メコン川をはさむタイのノーンカーイ市との間に国際橋が完成した。57万人(2005)。
→関連項目真臘タウングー朝ラオス

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