リキニウス(読み)りきにうす(英語表記)Valerius Licinianus Licinius

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リキニウス」の意味・わかりやすい解説

リキニウス
Licinius, Valerius Licinianus

[生]?
[没]325. テッサロニカ
ローマ皇帝 (在位 308~324) 。イリュリクム農民出身。ガレリウス戦友で,彼の支持により正帝に推され (308) ,パンノニア領有。ガレリウスの死 (311) 後,そのヨーロッパの領土併合。小アジアに進出したマクシミヌスと対峙した。 313年メディオラヌム (現ミラノ) にコンスタンチヌス1世 (大帝)と会し,彼の妹コンスタンチアを妻とした。また同年いわゆるミラノ勅令を発してキリスト教寛容を示し,続いてキリスト教側の闘士としてマクシミヌスを打倒西方のコンスタンチヌスと帝国を2分して,帝国の東半を支配した。しかし,コンスタンチヌスとの協調は長続きせず,やがてキリスト教迫害策に転じ,324年コンスタンチヌスに敗れテッサロニカに追放された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リキニウス」の意味・わかりやすい解説

リキニウス
りきにうす
Valerius Licinianus Licinius
(270?―324)

ローマ皇帝(在位308~324)。ダキアの農民の出身。ディオクレティアヌスマクシミアヌスの二人の正帝退位(305)後の混乱のなかで、308年西の正帝に選ばれたが、コンスタンティヌスとマクセンティウスの争いが激化すると、後者と結んだマクシミヌス・ダイアと対立していたリキニウスは、コンスタンティヌスの妹と結婚して彼との結び付きを強めた。312年マクセンティウスが倒され、翌年リキニウスはコンスタンティヌスとともにキリスト教を公認(ミラノ勅令)、さらにマクシミヌス・ダイアを破って東方の支配権を獲得し、コンスタンティヌスと帝国統治を二分した。しかしまもなく両者の対立が強まり、320年リキニウスはキリスト教徒迫害を復活させたが、コンスタンティヌスによって攻撃された。324年に決定的敗北を被ってテッサロニキに抑留され、まもなく処刑された。

[島 創平]

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