リップマン(読み)りっぷまん(英語表記)Fritz Albert Lipmann

日本大百科全書(ニッポニカ) 「リップマン」の意味・わかりやすい解説

リップマン(Gabriel Lippmann)
りっぷまん
Gabriel Lippmann
(1845―1921)

フランスの物理学者、カラー写真の発明者。ルクセンブルクのホーレリッヒに生まれ、のちパリに移住。1868年高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)に入学。1873年政府派遣でドイツに留学、ハイデルベルクベルリンの大学でキルヒホッフヘルムホルツに学んだ。1875年パリに帰り、高等師範学校に次いで1883年ソルボンヌ大学(パリ大学)の数理物理学教授となった。同1883年科学アカデミー会員、ソルボンヌ大学物理学研究所所長となり没年まで在職した。電気毛管現象を研究、リップマン法というカラー写真法を発明して1908年ノーベル物理学賞を受賞。

 カラー写真法は多く化学的な方法を用い、白色光を青紫、緑、赤の3色に分けて三つの版をつくり、これを黄、マゼンタシアンに染めて原色を再現するもので、現在に至るまでこの原理は変わらない。これに対しリップマン法はまったく物理的な手法を利用したもので、ほとんど透明に近い塩化銀乳剤を塗った乾板の膜の表面を平らな水銀面につけ、反対側から光を鏡により反射して透映すると、光は水銀面で反射して元の方向に戻るが、そのとき入射光と干渉して波長によりある地点で乳剤につくられた潜像点を現像、定着する。これを通して見ると原色を再現する。これは特殊なカメラもカラーフィルムも必要とせず理想的な方法に思われたが、ミュンヘンの科学博物館のリップマンカラーの見本は変色していた。これは乳剤のゼラチンが湿度によって変形するほかに感度が低いという致命的欠陥によるものであるが、リップマン乳剤は塩化銀のきわめて細かい粒子の、ほとんど透明の乳剤であり、現在に至るまで特殊な利用がある。

[菊池真一]


リップマン(Walter Lippmann)
りっぷまん
Walter Lippmann
(1889―1974)

アメリカの評論家、コラムニスト。9月23日ニューヨークに生まれる。ハーバード大学卒業。1913年にT・ルーズベルトの率いる進歩党の「教科書」といわれる『政治序論』A Preface to Politicsを刊行。続いて1914年リベラルな政治雑誌『ニュー・リパブリック』の創刊に携わる。1921年『ニューヨーク・ワールド』紙に入り、洞察に優れた明晰(めいせき)な論説により、その名をあげた。1931年から1967年まで『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』紙の特別寄稿家として「今日と明日」Today and Tomorrowと題するコラムを担当する。この評論により、1958年ピュリッツァー賞の特別表彰、1962年に同賞を国際報道部門で受賞した。1963年から『ワシントン・ポスト』紙や『ニューズウィーク』誌の特別寄稿家として活躍。思想的には当初の自由主義の立場から、しだいに保守主義へと傾いていった。1947年に『冷たい戦争The Cold Warを発表、以後このことばは東西関係を表す国際政治の流行語となった。政治、外交、社会問題に関する幅広い著作のなかでも、1922年に刊行された『世論』Public Opinionは、世論と大衆の非合理性民主主義とのかかわり合いで論じた、マスコミ研究の古典的名著といわれている。ほかに『幻の公衆』『良き社会』『公共の哲学』『国際政治とアメリカ』『共産主義世界とわれらの世界』などの著作がある。1974年12月14日死去。

[鈴木ケイ]

『掛川トミ子訳『世論』上下(岩波文庫)』『J・ラスキン著、鈴木忠雄訳『ウォルターリップマン――正義と報道の自由のために』(1980・人間の科学社)』


リップマン(Fritz Albert Lipmann)
りっぷまん
Fritz Albert Lipmann
(1899―1986)

アメリカの生化学者。1953年ノーベル医学生理学賞受賞。ドイツのケーニヒスベルク(現、ロシア領カリーニングラード)の生まれ。ミュンヘン大学医学部を卒業後、ケーニヒスベルク大学で化学を学んだ。1927年ベルリンのカイザー・ウィルヘルム生物学研究所(現、マックス・プランク研究所)のマイヤーホーフの助手となり、筋肉のリン酸代謝について研究した。デンマークのカールスベルク生物学研究所でアセチルリン酸を発見した(1939)。アメリカに亡命し、コーネル大学に就職(1939)。高エネルギーリン酸結合の概念を提出し、生体エネルギー系に大きな貢献をした(1941)。マサチューセッツ総合病院にあって補酵素Aを発見した(1953)。ミトコンドリアの酸化的リン酸化の仕組みを研究し、またアセチル基や硫酸基などの生体内転移を解明した。1957年ロックフェラー医学研究所の教授に就任。タンパク質合成の仕組み解明に重要な知見をもたらした。1975年以降ロックフェラー大学名誉教授。著書に『Wandering of a biochemist』(1971)がある。

[丸山工作]

『丸山工作著『生命現象を探る』(1972・中央公論社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リップマン」の意味・わかりやすい解説

リップマン
Lippmann, Walter

[生]1889.9.23. ニューヨーク
[没]1974.12.14. ニューヨーク
アメリカの政治評論家,社会心理学者。ハーバード大学卒業。 1914年雑誌『ニュー・リパブリック』の創刊に参加,21年『ニューヨーク・ワールド』の論説執筆者を経て,31年共和党系の『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』のコラムニストになり,「今日と明日」欄でアメリカの外交・政治・社会問題に健筆をふるった。 58年および 62年ピュリッツァー賞受賞。名著『世論』 Public Opinion (1922) では,世論を社会心理学的現象とみなしてその非合理的性格を強調,大衆社会論への基礎をつくった。ほかに『幻の公衆』 The Phantom Public (25) ,"The Cold War" (47) などがある。

リップマン
Lipmann, Fritz Albert

[生]1899.6.12. ケーニヒスベルク
[没]1986.7.24. ニューヨーク,ポキプシー
アメリカの生化学者。ケーニヒスベルク,ベルリン,ミュンヘン各大学で医学を学び,1926~30年,カイザー・ウィルヘルム研究所で近代生化学の父 O.マイアーホーフに師事。 39年アメリカに渡り,44年帰化。 49~57年,ハーバード大学医学部生化学教授。 57年ロックフェラー医学研究所教授。ビタミンB,代謝における高エネルギーリン酸結合,コエンザイム (補酵素) Aなどを研究した功績で,53年にはイギリスの生化学者 H.クレブズとともにノーベル生理学・医学賞受賞。

リップマン
Lippmann, Gabriel

[生]1845.8.16. ルクセンブルク,ホレリヒ
[没]1921.7.13. 海上
フランスの物理学者。パリおよびドイツで学び,パリ大学物理学教授 (1883) 。科学アカデミー会員 (83) ,同会長 (1912) 。毛管電気現象の研究を手がけ,1873年に毛管電位計を発明した。また光の干渉を利用して初のカラー写真法を開発 (1891) 。ほかに無定位電流計,加速度地震計の考案や,圧電気を示唆したことで知られる。 1908年ノーベル物理学賞を受賞した。

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