17世紀イギリスの代表的政治哲学者ホッブズの主著。1651年刊。政治学の古典中の古典と目される大著である。リバイアサンとは、『旧約聖書』の「ヨブ記」41章に出てくる怪獣の名前で、神を除き、この地上において最強のものを象徴したことば。ホッブズによれば、この最強なるものとは、人々がその生命を守るために契約を結んで設立した政治共同体=コモンウェルス(国家)を意味した。また、このリバイアサンは海の怪獣、しかも平和の怪獣であったことに注意すべきである。したがって、国家は、人間が生命の安全と平和を確保するために力を合成する契約行為を通じてつくった政治共同体であるから、王族、教会、議会、ギルドなどの集団よりも強い、というわけである。ピューリタン革命という悲惨な政治状況を目の前にして、ホッブズが、いかにして人間の生命や自由を保障できる平和で統一的な政治社会を確立するかを考えて、『リバイアサン』を構想・執筆したことは間違いない。
彼の政治論は、封建的な身分制秩序や神学的思考からまったく解放された世俗的国家論である。すなわち彼は、従来からある国王と議会の対立とか旧教対新教の対立といった観点からではなく、人間にとっての最高価値とは何かを求めて人間の本性を分析し、そこから生命の保存(自己保存)を最高価値として導出し、それを基礎にしてその政治社会論を構築し、それによって既成の政治論とはまったく異なる近代的な政治理論を提出した。この際、彼は、法律も政府も全然知らない自然状態にあっては、人間は自分の生命を自分で守る権利(自然権)をもち、その意味では自由であるが、他方、自然状態において各人が自然権を主張すれば、「万人の万人に対する闘争状態」が発生する危険性が大であることを指摘する。そして人間がこの危険性から免れるためには、各人は自己保存の欲求のための選択の条件を最終的に決定する判断力(理性)の教えに従って相互に契約を結び、共通の権力を樹立して一つの合議体(政治社会)を設立し、単なる群衆を一人格に統一し、その人格を代表する1人または合議体(主権者)の制定する法律に従って平和に生きよ、という「法の支配」の考え方を人々に教示している。これが有名な近代的社会契約思想の原型である。
ここでホッブズは、主権者には強い力を与えよと述べているが、その理由は、契約社会を守るために権力を行使するという意味であって、絶対君主のような恣意(しい)的な権力濫用を容認したものではない。なぜなら彼は、自然法の内容(19列挙しているが、第一の基本的自然法は平和の確保)に反する市民法(各国の主権者が制定する法律)は無効である、と述べているからである。また彼は、すべての党派・集団が自己の立場を真理として主張することが騒乱の原因であるとし、とくに相争っているキリスト教各派は、「イエスはキリスト(救い主)である」という一点において和解せよ、と述べていることは、「宗教の自由」「内面の自由」を述べたものとして重要である。本書の結論部分でホッブズは、キリストが再臨するまでは、神は人間が自分たちの力で生きていくために自然法を与え給うたと述べているが、このことは、彼のいう自然法の諸原理(自己保存)に従って生きるほかないと教えることによって、実際には政治理論の近代化・世俗化を主張したものといえよう。彼の政治論が近代民主主義思想の出発点となった理由はここにある。
[田中 浩]
『水田洋・田中浩訳『リヴァイアサン』(1966・河出書房新社)』▽『水田洋著『近代人の形成』(1954・東京大学出版会)』▽『福田観一著『近代政治原理成立史序説』(1971・岩波書店)』▽『田中浩著『ホッブズ研究序説』(1982・御茶の水書房)』
17世紀を代表するイギリスの政治哲学者T.ホッブズの主著。1651年に英語版(ロンドン)が,68年にラテン語版(アムステルダム)が刊行された。書名は,《ヨブ記》に記された〈地の上に並ぶものなき〉怪獣の名に由来するが,彼はそれによって,内乱を克服し平和を維持するために絶対主権をもって君臨する国家を象徴した。しかし本書の意義は,国家主権の絶対性を弁証したその結論にあるのではなく,むしろ,感覚に始まる人間の認識能力と情念に動機を置く人間の実践能力とを吟味しつつ,人間を〈素材とし創造者とする〉国家の成立メカニズム,その構成原理を見通した深い哲学性にある。本書によって初めて,自然の世界と人格の世界との範疇(はんちゆう)的区別の上に人間の文化形成の論理を築いた近代哲学は,みずからにふさわしい政治認識を獲得したからである。その意味で本書は,時代の制約ゆえに多くの理論的不備と論理的不整合とを残しながら,政治哲学の近代的転換を画した記念碑的な作品といってよい。本書のそうした性格は,それがスピノザ,ロック,ルソー,ヘーゲルらに与えた巨大な影響力からもうかがうことができる。なお日本でも,本書は明治期に《主権論》(1883,文部省編輯局訳。第2部のみ)の表題で民権論に対抗するための武器として使われた歴史をもっているが,第2次世界大戦後,自然権哲学に基礎を置くその近代的側面の研究が本格的に開始され,福田歓一の《近代政治原理成立史序説》(1971)を始めとして多くの優れた業績が生まれてきている。しかし,本書の過半を占めるキリスト教論の解明など,今後に残された研究課題も少なくない。
執筆者:加藤 節
《ヨブ記》(41:1~34)に記された水棲の巨大な幻獣。レビヤタンともいう。堅いうろこと恐ろしい歯をもち,目は光り口からは火花を発し,鼻からは煙を出し息は炎のようで,その通った跡には強い脂が残るとある。1年ごとに死んで新しく生まれ変わる。ワニか巨大な蛇または鯨とも想像され,聖書に語られる陸の怪獣ビヒモスと対をなす巨獣である。一説には,地球を背負っている大魚で,最後の審判には救世主が捕らえて,聖なる人の食物にされるといわれる。
執筆者:井村 君江
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…地獄は大きな獣口でかたどられ,そのなかで醜い鬼たちが悪人たちを苦しめる。この獣口は《ヨブ記》41章によるリバイアサンで,記述どおりに目から火花をちらし,鼻孔から煙をだして,煮えたぎる釜のありさまを示そうとする。また,タンパンの大構図を囲んで,半円輪状に天使群から預言者たち,殉教者たち,聖女たちがならぶ。…
…これは,身分制の崩壊以後各人が自己の判断と能力とに頼って,それぞれの責任で運命をきりひらいていく個人主義の時代を背景にもつもので,すでに新大陸へ渡る清教徒の間には,現実にメーフラワー・コンパクト(1620)も結ばれていた。しかし,自然状態―社会契約―社会状態という図式を理論的に確立したのはホッブズであって,彼は自然状態を戦争状態と考え,その無秩序を克服するために絶対無制限の権力が必要であるとして,各人が特定の自然人または合議体を主権者として受けいれることを相互に契約するとき,その間に政治社会すなわち国家が生まれると説いた(《リバイアサン》1651)。これに対して,ロックはまず相互契約によって社会を構成した諸個人が,多数決によって選んだ立法機関に統治を委託すると説き,その目的を私有財産を含む個人の自由権の保障に求めることによって,権力に制限を加えた(《統治二論》1689)。…
※「リバイアサン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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