ルベリエ(読み)るべりえ(英語表記)Urbain Jean Joseph Le Verrier

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルベリエ」の意味・わかりやすい解説

ルベリエ
るべりえ
Urbain Jean Joseph Le Verrier
(1811―1877)

フランスの天文学者海王星の存在の予言者。父はノルマンディーの中流不動産業者だが、家作を売ってルベリエを理工科大学校(エコール・ポリテクニク)で学ばせた。化学を学んだが、興味はむしろ天文学にあって、卒業後1837年に母校の天文学講師に採用された。ラプラスらの天体力学を推進し、諸惑星の軌道の離心率および傾斜角の変動限界を算定して、太陽系の安定性を証明した。パリ天文台長アラゴの勧めで、台員として水星の運動を計算し、近日点の移動がニュートン力学での算定より大きいことを発見、その起因はのちに一般相対性理論により解明された。1846年パリ科学アカデミー会員、1849年ソルボンヌ大学(パリ大学)天体力学教授となった。周期彗星(すいせい)の木星による摂動を研究中、天王星の原因不明の摂動を未知の惑星の存在によるものと計算した(1846)。この予報は的中し、ベルリンのガルレにより新惑星が発見された。これが海王星であり、「天体力学の勝利」とたたえられている。1854年アラゴの後任として台長となり、1858年のクリミア戦争時におきた暴風禍(バラクラバ暴風)にかんがみ、ヨーロッパ各地に測候所を設け、最初天気図を作製し、天気予報体制を敷いた。

[島村福太郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルベリエ」の意味・わかりやすい解説

ルベリエ
Le Verrier, Urbain-Jean-Joseph

[生]1811.3.11. サンロー
[没]1877.9.23. パリ
フランスの天文学者。初めパリのエコール・ポリテクニク(高等理工科学校)で化学を専攻したが,1837年同校の天文学専任教授になり,以後天文数学に専心水星の軌道理論を研究し,精確な運行表を作成。1845年天王星の不規則運動の研究に着手。イギリスのジョン・クーチ・アダムズとは別に,天王星の運行から別の惑星の存在を推定,その大きさと位置を算定し,その観測による検証をベルリン天文台のヨハン・ゴットフリート・ガレに依頼。1846年,ガレはルベリエの推定位置から,誤差 1度以内のところに海王星を発見した。この功により,ロンドンのロイヤル・ソサエティからコプリー・メダルを受章,またパリ大学に新設の天文学教授に任命された。1854年パリ天文台台長となり,その再建に努めた。また,水星の近日点移動の現象から,水星軌道の内側に小惑星群が存在することを主張したが,不首尾に終わった。しかしこの現象はのちにアルバート・アインシュタインによる一般相対性理論によって解決された。

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