百科事典マイペディア 「アルバート」の意味・わかりやすい解説
アルバート
アルバート[湖]【アルバート】
→関連項目エドワード[湖]|マーチソン滝
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イギリス女王ビクトリアの夫。ドイツのザクセン・コーブルク・ゴータ公の次男としてローゼナウに生まれる。彼とビクトリアとは,もともと従姉弟の関係にあり,双方の伯父であるベルギー王レオポルト1世の尽力でたがいに親しくなった。1837-38年にボン大学に学んだあと,40年に結婚,イギリスに帰化した。彼は,女王の夫Prince Consortということ以外,とくに憲法上の地位を与えられなかったが,深く女王を愛し,その包容力ある人格と高い識見をもって彼女の国事を補佐した。41年のピール・トーリー党内閣の成立に際し,ホイッグ贔屓(ひいき)の女王に議会政治における二大政党制の意味を教えさとしたのは彼であった。またドイツ人らしく,とくに科学・技術の振興に熱心で,第1回ロンドン万国博覧会(1851)の推進者となった。61年,腸チフスに倒れ,惜しまれて死去した。
執筆者:村岡 健次
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1819~61
イギリスのヴィクトリア女王の夫君。ドイツのザクセン・コーブルク・ゴータ家の出身で,女王とはいとこにあたる。1840年結婚。当初は外国人としてうとまれたが,真摯で教養深い人柄で女王にも大きな影響を与え,女王と営む家庭生活は国民の敬愛を集めた。51年のロンドン万国博覧会の実現に貢献した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…ケント公妃が娘の養育にあたり最も頼りにしたのは,彼女の兄レオポルド公(後のベルギー王レオポルド1世)であり,ビクトリアの養育係に任命されたのは,ザクセン・コーブルク出身のレーツェン男爵夫人であった。1840年,21歳のとき,彼女と同年で従弟にあたるザクセン・コーブルク・ゴータの王子アルバートと結婚する。彼女は直情径行の人で,高貴な生れと育ちに特有な我の強さをもち,ドイツびいきで,しばしば外交をはじめとする国家の諸問題に干渉しようとした。…
※「アルバート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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