ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レッチワース」の意味・わかりやすい解説
レッチワース
Letchworth
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イギリス、イングランド南部、ハートフォードシャー県にある計画都市。ロンドンの北約56キロメートルに位置する。人口3万1900(2002推計)。田園都市の主唱者E・ハワードが1903年に建設に着手した理想都市第1号で、彼の主張どおり市域の約半分は農牧地として保たれ、住宅地区に接して約70の工場があり、職住近接と田園的居住環境を実現している。
[井内 昇]
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…このため,行政上は別の組織体であるにせよ,あくまでも拡大された母市の一部とする研究者も少なくない。衛星都市という名称は,大都市から周辺に工場を移転させ,あわせて人口分散を図れと説いたG.R.テーラーによって,1915年に初めて用いられたものであるが,衛星都市の構想そのものは,1898年にE.ハワードが提唱した田園都市運動に由来していて,1903年にロンドン郊外に建設されたレッチワースや,これに続くウェルウィン(1919建設)はその代表的な例である。第2次大戦後はニュータウン計画となって受け継がれ,クローリーやハーローなどをつくった大ロンドン計画,パリ計画におけるパルリ・ドゥParly IIの建設などとなってあらわれている。…
…この社会都市群は総人口25万人,総面積2万6400haの地方中核都市としての機能を具備した,当時としてはきわめて斬新な案であった。 彼の提案は多くの人々に空想的な夢物語として受けとられたが,少数の支持者の献身的な努力により,1903年第一田園都市会社First Garden City Ltd.が設立され,ロンドン北郊に最初の田園都市レッチワースLetchworthが建設された。面積1520ha,計画人口3万人の都市が老練な建築家アンウィンRaymond Unwin(1863‐1940)により設計された。…
…この提案は,都市と農村の結合,土地の公有,人口規模の制限,開発利益の社会還元,自給自足,住民の自由と協力など,多くの特色をもつものであった。ハワードの提案は多くの人々の支持を受け,ロンドンの北方にレッチワースおよびウェルウィンの二つの田園都市が実現した。ハワードの田園都市は世界各国に大きな影響を与え,田園都市に類するもの,あるいは田園郊外garden suburbsが各地に建設された。…
…彼のいう田園都市garden cityとは,要約すれば,初めから成長を限定し,かつ生活に必要なすべての要素を備えた都市的共同体であって,管理運営の自治組織をもち,人口(約3万人)に見合う産業そして職場を確保した職住一体の自己充足社会のことをさす。これを実現するため,99年田園都市協会を,1902年田園都市パイオニア会社を,ついで翌年第一田園都市会社を設立して,ロンドン北方にレッチワースLetchworth(1904‐13)とウェルウィンWelwyn(1913‐19)の二つの都市を建設。国際住宅都市計画協会総裁を務め,27年にはナイト爵を受けた。…
※「レッチワース」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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