日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロンゴ」の意味・わかりやすい解説
ロンゴ
ろんご
Luigi Longo
(1900―1980)
イタリアの政治家。1921年共産党結成大会に参加し、その後1928年まで主として青年共産同盟を指導。1926年の第3回党大会で中央委員に選ばれ、同年モスクワに派遣され、以後国外党指導部に参加する。ファシズム打倒とプロレタリア独裁樹立の間に中間段階を設けるリヨン・テーゼ(第3回大会)に批判的であり、1929年以後のコミンテルン路線に沿って党の路線転換(1930)を推進。1936年スペイン内戦に参加し「国際旅団」の政治委員となる。スペイン共和国の崩壊後フランスで逮捕され(1939)、イタリア当局に引き渡されたが、ファシズムの崩壊とともに釈放され(1943)、パルチザン組織「ガリバルディ旅団」の総司令官、ならびに「祖国解放義勇軍」の副司令官としてレジスタンスで指導的役割を果たした。解放後の1946年以降、党の副書記長、P・トリアッティ死後の1964年以降、書記長と一貫して指導部の地位を保持したが、レジスタンスの時代から構造改革論、いわゆる「社会主義へのイタリアの道」には批判的で、国民的党の観点より階級的観点を重視する傾向があった。1972年に書記長をベルリングエルに譲り、委員長に就任した。
[重岡保郎]
『河野穣著『イタリア共産党史(1921―1943)』(1980・新評論)』▽『伊藤昭一郎著『イタリア共産党史(1943―1979)』(1980・新評論)』