改訂新版 世界大百科事典 「ローマ水道」の意味・わかりやすい解説
ローマ水道 (ローマすいどう)
古代ローマ人がローマ市およびその支配領域の各都市に設けた給水用上水道。建築学・衛生学上,ローマの文化史上最大の業績の一つ。ローマ最古の水道はアッピア水道(前312)とアニオ・ウェトゥス水道(前272)であるが,その基礎にはエトルリア人から学んだ,ラティウムの谷底をうがつ排水溝の知識があった。その後,ローマの町には226年完成のアレクサンドリアナ水道まで11個の水道が設けられた。すべてテベレ川やローマ周辺の泉や湖から人工の水路を築いて水をひき,沈澱池で不純物を除去し,町の周辺の貯水槽に導き,そこから3本の主給水管で配水水槽にひき,陶管・鉛管・石造水路で公共用の飲用の泉,公衆浴場や噴水のような公共建築,個人の住宅に給水した(一説では皇帝用,公共用,個人住宅用)。しかし,個人の家のすみずみまで十分に給水されたとみるべきではない。前2世紀以降ローマの支配下にはいった全地中海地域に上水道は普及し,タラゴナ,セゴビア,ニーム,エフェソス,アンティオキア,カルタゴなどにその遺構が残っている。
水路の測定には水準器が用いられ,谷間を横切る水道橋やアーチ式土台を築いて,1%以下(0.25~0.5%が可とされた)のこう配を保ちながら水を通した。逆サイフォン式の原理も用いられている(ローマに1例とリヨン)が,高圧による給水構想はみられず,低圧重力式の給水方法をとり,多くの導管と放水塔により水圧をへらす方法がとられた。主水路にはたえず水が流れ,あふれた水は共同便所や下水溝を洗い流した。
ローマ水道は共和政期には,ケンソルの手による請負の形で造営,管理された。ケンソル欠員の場合は按察官(アエディリス)が水の供給の責任を負った。特に前33年の按察官アグリッパの活躍は有名である。前12年の彼の死により,翌年アウグストゥスは常任の職,水道管理官(クラトレス・アクアルムcuratores aquarum)を設けた。定員は3名,うち1名は元老院身分から成った。
執筆者:長谷川 博隆
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報