ランジュバン(読み)らんじゅばん(英語表記)Paul Langevin

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ランジュバン」の意味・わかりやすい解説

ランジュバン
らんじゅばん
Paul Langevin
(1872―1946)

フランスの物理学者パリに生まれる。物質磁性に関するランジュバン関数ブラウン運動についてのランジュバン方程式などで広く知られる。高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)卒業後、ケンブリッジ大学に学び、ラザフォードらとともにJ・J・トムソンの教えを受ける。帰国後、ソルボンヌ大学(パリ大学)で、P・キュリーの下で研究。1902年コレージュ・ド・フランスの教授となる。科学アカデミー会員。

 当初の研究は、気体中のイオン挙動に関するものであり、それで学位を取得(1902)、1905年には大気中のランジュバン・イオンを発見した。実験のいくつかはエッフェル塔の上で行われた。彼の名を著名にしたのは、その名でよばれる、同年発表された磁性理論である。それは、磁化電子を仮定し、古典統計力学的に取り扱って、常磁性気体の磁化と温度との関係を導いた。このとき導入されたのがランジュバン関数であり、一般に磁性体誘電体などの理論でみられるものである。以上の理論は、強磁性体の場合のランジュバン‐ワイス理論といわれるものに発展する。ランジュバン理論は今日の磁性体論、誘電体論などへの出発点を与えるものである。

 彼の業績で今日なお直接に重要な役割を果たしているのが、ブラウン運動に関する理論(1908)であり、そこで提起された粒子のブラウン運動を記述する確率的な運動方程式としてのランジュバン方程式は、非平衡統計力学において今日つねに取り上げられるものである。彼は相対性理論にも重大な関心を寄せ、1906年にアインシュタインと独立に、質量とエネルギーの同等性についての関係を打ち立てている。

 ランジュバンは第二次世界大戦中、反ナチスのレジスタンス運動に加わり、戦後フランスの再建にあたって、彼のたてた民主的教育改革案は「ランジュバン‐ワロン教育改革案」として死後広く知られるものとなった。

[荒川 泓]

『ランジュバン著、竹内良知・新村猛訳『科学教育論』(1961・明治図書出版)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ランジュバン」の意味・わかりやすい解説

ランジュバン
Langevin, Paul

[生]1872.1.23. パリ
[没]1946.12.19. パリ
フランスの物理学者。パリ大学卒業後,ケンブリッジ大学に留学。コレージュ・ド・フランス教授 (1904) ,パリ大学物理化学研究所所長 (25) 。物質の磁性について多くの研究を行い,1905年統計力学を用いて,常磁性体の磁化率と温度の関係 (キュリーの法則) の理論づけに成功。また原子内電子のふるまいによって常磁性と反磁性を説明。同年大気中にあるランジュバン・イオンを発見。またブラウン運動の研究を行う。 17年超音波の発生および検出に着手し,超音波探知器への道を開いた。第2次世界大戦中はレジスタンス運動に参加した。

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