百科事典マイペディア 「アイゼナハ派」の意味・わかりやすい解説
アイゼナハ派【アイゼナハは】
→関連項目ゴータ綱領
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全ドイツ労働者協会に対抗して、1869年、社会民主労働者党を結成したグループ。全ドイツ労働者協会は、ラッサール死後もシュワイツァーの指導下にビスマルクとの妥協策をとっていたが、一方、ドイツ労働者協会連盟を率いるベーベルやW・リープクネヒトらは、J・P・ベッカーの活動などによって労働者の間に広められていた第一インターナショナルの綱領を受け入れ、1869年8月、アイゼナハEisenachでマルクス主義的綱領を掲げる社会民主労働者党を結成した。綱領は、「自由な国民国家の樹立」を目標としたが、ラッサールの影響を完全には払拭(ふっしょく)できなかった。同党は1875年、全ドイツ労働者協会と合同し、ドイツ社会主義労働者党となった。
[松 俊夫]
『メーリング著、足利末男他訳『ドイツ社会民主主義史 下巻』(1969・ミネルヴァ書房)』
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
1869年ベーベルらの指導のもとにアイゼナハにおいてドイツ社会民主労働者党が結成されたが,63年以来の全ドイツ労働者協会(ラサール派)に対してアイゼナハ派と呼ばれた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…1875年5月,全ドイツ労働者協会(ラサール派)と社会主義労働者党(アイゼナハ派)がドイツのゴータ市で合同大会を開いて採択した綱領。それに基づいて両派はドイツ社会民主労働者党へと発展解消し,その後のドイツ社会民主党の発展の基礎が築かれた。…
※「アイゼナハ派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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