アクメイズム
akmeizm
1910年代,ロシア革命の前夜に,当時のブルジョア文化の危機的状況のなかに生まれたロシア詩におけるモダニズム的傾向をいう。主として〈詩人組合(ツェフ・ポエートフ)〉のグループの詩人たち,グミリョーフ,ゴロデツキー,アフマートワ,マンデリシュタム,クズミンM.A.Kuzmin,ゼンケビッチM.A.Zenkevich,ナルブトV.I.Narbut,サドフスキーB.A.Sadovskiiらが詩誌《アポロン》(1909-17)を牙城にその主張を展開した。アクメイズムの名称はギリシア語の〈アクメ(最高頂)〉からきており,アクメイズムの詩人たちはロシアのシンボリズムの美学に反発して,神秘的な彼岸への探究をやめ,可視的な現実を重視し,具象的な言語で物事を正確に表現しようとした。しかし,そこには社会性が欠如しており,革命後のソ連邦ではデカダンスの一派として排斥され,文学運動としては消滅した。個々の詩人はその優れた資質ゆえに,ソビエト時代になっても詩人として活躍した。〈雪どけ〉後,再評価の動きもあらわれている。
執筆者:木村 浩
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「アクメイズム」の意味・わかりやすい解説
アクメイズム
1910年代のロシアで生まれた詩の流派。雑誌《アポロン》を拠点に活動。それまで主流だった象徴主義の神秘的あいまいさに反発し,明晰で力強い表現により地上的美を描いた。アンネンスキーI.F.Annenskiiを精神的父と仰ぎクズミンM.A.Kuzminを先駆者とするが,活動の中心となったのはグループ〈詩人ギルド〉の参加者グミリョーフN.S.Gumilyov,ゴロデツキーS.M.Gorodetskii,アフマートワ,マンデリシタムなどである。〈アクメイズム〉という呼称は,ギリシア語の〈アクメ(頂点,完璧)〉をもとにグミリョーフが提唱したもの。未来派とともにロシア詩の新潮流を形成するが,過去の文化的伝統すべての破壊をめざす未来派とは異なり,伝統を創造的に継承しようとした。
→関連項目グミリョーフ
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アクメイズム
あくめいずむ
Акмеизм/Akmeizm
ロシア象徴派の運動が事実上解体してまもない1910年代初めに成立した文学流派。雑誌『アポロン』に拠(よ)って活動した。ロシア象徴派を「敬うべき父」とみなし、詩的技法の点でその遺産を数多く受け継いだが、神智(しんち)論、オカルティズムなどの神秘主義的な世界を否定して、古典的な明晰(めいせき)さ、現実の生命感の回復を志した。グミリョフ、ゴロデツキーを創始者として、クズミン、マンデリシュターム、アフマートワらがこれに加わった。
ギリシア語の「頂点(アクメ)」に由来するその名が示すとおり、アクメイズムの詩人たちは、自らの作品を芸術的真実の最高の表現と考え、また一方で、男性的かつ直截(ちょくせつ)な世界観を貫こうとする立場から、人類の祖アダムに由来するアダミズムをも名のった。彼らは概して、抽象的・観念的な語彙(ごい)を避け、硬質で明解な表現を好み、エキゾチックな自然、前史時代の生活、恋愛などをテーマに描いた。事物やことばそのものに対する考え方には、次代の未来派詩人たちと部分的に共通するものがある。革命後、運動としては消滅したが、その精神はツベターエワ、ホダセービチらの優れた詩人によって受け継がれた。
[亀山郁夫]
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世界大百科事典(旧版)内のアクメイズムの言及
【ロシア文学】より
…文学史的には象徴主義(ブローク,ベールイ,V.イワーノフら。盛期は1910年ころまで),新古典主義的な[アクメイズム](グミリョーフ,マンデリシタム,アフマートワ。1912年より),未来派(ロフレーブニコフ,マヤコーフスキーら。…
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