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アシュアリー al-'Ash`arī, Abū al-Ḥasan `Alī

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アシュアリー
al-'Ash`arī, Abū al-Ḥasan `Alī

[生]873. バスラ
[没]935. バグダード
イスラム神学者。ギリシア哲学を吸収してカラームと呼ばれる正統的思弁神学を確立した。唯一の能動者,唯一の原理としての神の全能を強調,すなわち,そこでは時空的連続性がまったく否定され,この瞬間における原子の結合は次の瞬間におけるそれになんのかかわりもなく,物体のまとまりと持続はただ瞬間ごとの神の意志によるものとされる。

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世界大百科事典 第2版の解説

アシュアリー【al‐Ash‘arī】

873‐935
イスラム神学者。マートゥリーディー派とともにスンナ派神学を代表するアシュアリー派の祖。その生涯についてはあまり知られていない。バスラに生まれ,そこで活躍し,バグダードで没した。後に異端とされる合理主義神学を代表するムータジラ派の重鎮,ジュッバーイーal‐Jubbā’ī(?‐915)の有力な弟子の一人であったが,40歳の時に回心して同派を離れ,イブン・ハンバルの伝統主義的立場に転向した。その契機となったのは預言者ムハンマドの夢によるお告げであるとする伝承については疑問視するむきもあるが,アシュアリーの神学的立場を象徴的によく示している。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アシュアリー
あしゅありー
Ab al-asan ‘Al al-Ash‘ar
(873/874―935)

イスラム神学者。スンニー派神学を代表するアシュアリー派の祖。イラクのバスラに生まれ、バグダードで没した。熱心なムゥタジラ派の神学者であったが、40歳のとき、夢で預言者ムハンマド(マホメット)の教えを受け、以後ムゥタジラ派の批判者となった。彼の神学は、決定論、コーラン非創造説、神の正義と賞罰に対する不可知論などで、ムゥタジラ派と異なる。また、その著作『イスラム教徒の諸説』にはシーア諸派やムゥタジラ派などの教義が簡潔に整理されており、初期イスラム思想研究のうえで重要である。アシュアリー神学は、彼の死後、バーキッラーニー(?~1013)により、形而上(けいじじょう)学としても完成、ニザーミーヤ学院では主要課目として採用され、イスラム正統派神学を代表するものとなった。[竹下政孝]

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世界大百科事典内のアシュアリーの言及

【イスラム】より

…カリフ,マームーンによるムータジラ派の教義の公認も,やがてムタワッキルによる取消しの憂き目をみることとなる。この時にあたり,もとムータジラ派に属したアシュアリーは,同派から学んだカラームを方法論としながら,信仰においてイブン・ハンバルの教義を受け入れることを宣言した。このようにして,啓示を理性によって支持するスンナ派の合理的な神学が唱えだされ,この時以後,スンナ派神学はカラームと呼ばれるようになる。…

【ムータジラ派】より

… アッバース朝カリフ,マームーンが827年に〈創造されたコーラン説〉を公認するに及び,ムータジラ派はアッバース朝宮廷で支配的勢力となった。それは学派としてまとまったものではなかったが,アシュアリーは彼と同時代のムータジラ派に共通の原則として,(1)タウヒード,(2)アドル,(3)天国への約束と地獄への脅し,(4)信者と不信者との中間の状態,(5)勧善懲悪の五つを挙げる。この段階ではタウヒードと並んで,ヘレニズム的観念での神の正義(アドル)が強調され,アリストテレスの論理学が方法論となった。…

※「アシュアリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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