チリの政治家。バルパライソの豊かな中流家庭に生まれる。チリ大学で医学を学んだが、急進的な学生活動家でもあった。チリ社会党の創立(1933)に参加し、以後政治家の道を歩み、下院議員、人民内閣の保健相(1939~1942)、上院議員(1945~1969)、上院議長を務め、社会党の重鎮として活躍。1952年以来たびたび大統領選挙に出馬し、1970年の選挙では社共両党を中心とする人民連合の候補者として世界的に注目されるなかで大統領に選ばれた。「反帝・反寡頭勢力」の綱領のもとで、アメリカ系銅山をはじめ内外主要企業の国有化や本格的な土地改革を実施し、対外的にはキューバ、中国と国交を樹立した。これらの改革政策は労働者や低所得者の強い支持を受けたが、チリの社会主義化を恐れたアメリカ政府や国内の保守勢力からの抵抗や圧力にあった。1973年9月、ついに軍と警察がクーデターを起こし、自らも武器をとって闘いつつ劇的な最期を遂げた。
[加茂雄三]
チリの政治家。サンチアゴ市生れ。医学生時代に社会主義にめざめ,政治活動を行って幾度か投獄を経験した。1933年チリ社会党結成に参加。37年下院議員に当選,以後政治家としての道を歩む。39年人民戦線政権の保健相,43年社会党書記長,45年上院議員,60年代の一時期に上院副議長を経て議長も務めた。52年,58年,64年に引き続いて70年4度目の左翼統一候補として大統領選に出馬し,小差で当選。社会党,共産党などのいわゆる人民連合を率いて世界で初めて議会制民主主義に基づく社会主義への移行を試み,アメリカ系資本下の銅産業の無償国有化,主要産業・企業の社会化,農地改革等の急進的な諸政策を実施し世界の注目を集めたが,73年9月11日,軍部・警察によるクーデタが起こり,戦闘中の大統領官邸で死亡,政権は崩壊した。
執筆者:吉田 秀穂
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…同政権は,経済の自立,社会の近代化を大きく前進させたが,銅産業のチリ化(後述)以外は所期の目標を達成することができず,また農地改革で保守陣営の反発を招き,経済成長政策の失敗で左翼陣営の批判を浴びた。そして70年の大統領選では保守・中道・左翼間の激戦の末,左翼連合のアジェンデが少差で当選し,議会での決選投票ではキリスト教民主党の支持を得て大統領に就任した。アジェンデ政権は,ラテン・アメリカにおける,民主的手続による最初の社会主義政権として多くの業績をのこしたが,73年,軍部と警察によるクーデタのため倒れ,ピノチェトAugusto Pinochet Ugarte(1915‐ )の軍事政権が成立。…
※「アジェンデ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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