チリの軍人、政治家。バルパライソに生まれ、陸軍士官学校に学ぶ。同校で軍事地理や地政学を教え、『チリの地政学』などの著書がある。駐米大使館付武官を経て陸軍参謀総長となり、1973年陸軍司令官に就任し、同年9月クーデターによってアジェンデ大統領の社会主義政権を倒した。軍事評議会議長、ついで大統領として徹底した軍政(「権威主義的民主主義」と自称)を敷き、自由主義的経済政策を実施した。しかし、その人権抑圧政策は国際的にも批判を受け、経済危機や周辺諸国の民政化を背景に、国民の抵抗を受けた。1990年大統領を退任。1998年陸軍司令官も退任して終身上院議員となった。
病気治療を目的に外交旅券でロンドン滞在中の1998年10月、軍政時代における虐殺、拷問、誘拐などの人権侵害を告発するスペイン予審判事の要請を受けたイギリス司法当局によって身柄を拘束され、スペインは身柄引渡しを要求、チリは外交官の不逮捕特権を理由に帰国を求めた。当時イギリスの最高裁を兼ねていた貴族院(上院)は、逮捕は適法であると審決、当局は拘束を続けた。2000年に至ってベルギー政府や人権団体による釈放反対の動きのなか、高齢や健康悪化を理由に高等法院が釈放を決定。チリへ帰国後、殺人、誘拐、横領などさまざまな罪で告訴されていた。2006年12月、サンティアゴで死去。
[乗 浩子]
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