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アベベ(Abebe Bikila)
[1932~1973]エチオピアの軍人・長距離走者。1960年のローマ、64年の東京での両オリンピックで、マラソン史上初めて連続優勝した。はだしのマラソンランナーとして有名。
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アベベ
エチオピアのマラソン選手,元王室親衛隊将校。1960年ローマオリンピックで優勝(2時間15分17秒),〈はだしの王様〉〈走る哲人〉といわれ,1964年東京オリンピックでも優勝(2時間12分11秒2)。ともに当時の世界最高記録で,オリンピック史上初めてマラソン2連覇を成し遂げた。1968年のメキシコシティーオリンピックでマラソン3連覇をめざしたが,かかとの故障で棄権。1969年3月,自動車事故にあい半身不随となり,車椅子生活に入った。しかし,1970年,ロンドンで開催された国際身体障害者スポーツ大会(パラリンピック)にも出場し,健在ぶりを発揮した。1973年10月,脳出血で死去。
→関連項目円谷幸吉
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アベベ【Abebe Bikila】
1932‐73
エチオピアのマラソン選手。エチオピア皇帝の護衛兵を務め,1960年ローマ・オリンピックのマラソンに出場,2時間15分17秒の世界最高記録で優勝,終始はだしで走ったので,〈はだしの王様〉といわれた。64年東京オリンピックに出場,さらに世界最高記録を縮め,2時間12分11秒2でテープを切り,オリンピック史上初めてマラソン2連覇の偉業を成し遂げ,皇帝護衛官に昇進した。68年メキシコ・オリンピックでもマラソンに挑んだが,途中かかとを痛めて棄権。
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アベベ【Bikila Abebe】
(1932~1973) エチオピアの軍人・マラソン選手。1960年(昭和35)ローマ、64年東京での両オリンピックでマラソン二連勝を達成。
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アベベ
あべべ
Abebe Bikila
(1932―1973)
エチオピアのマラソン選手。軍人。1960年のローマ・オリンピックにはだしで走って優勝し「はだしの王者」といわれた。1964年の東京オリンピックでも2時間12分11秒2と当時の世界最高記録で優勝、オリンピック史上初のマラソン2連勝を成し遂げた。1968年のメキシコ・オリンピックにも出場したが、足の故障で3連覇はならなかった。1969年3月自動車事故にあい、車椅子(いす)での生活を余儀なくされたが、パラリンピック(身体障害者国際スポーツ大会)に出場、話題を提供した。死後、皇帝ハイレ・セラシエ1世はその栄誉をたたえ、首都アディス・アベバに5万平方メートルの敷地をもつアベベ記念スタジアムを建設した。[石井恒男]
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世界大百科事典内のアベベの言及
【東京オリンピック大会】より
…参加国数はそれまでの最大の94ヵ国,参加選手数5586人,実施競技は柔道とバレーボールが新たに加わり20競技,総種目数163であった。競技では〈褐色の弾丸〉R.L.ヘーズの陸上男子100m優勝,〈はだしの王様〉アベベのマラソン史上初の2連勝,〈泳ぐ芸術品〉D.ショランダーの競泳4種目制覇,〈体操の名花〉V.チャスラフスカの演技などが話題を呼んだ。日本選手も〈東洋の魔女〉女子バレーボールの優勝,体操男子団体総合の2連勝,マラソンの円谷幸吉の活躍など熱戦を展開,日本の若い競技者を刺激し,一般の人々にもスポーツ熱が高まる契機になった。…
※「アベベ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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|8月7日