改訂新版 世界大百科事典 「アムハラ族」の意味・わかりやすい解説
アムハラ族 (アムハラぞく)
Amhara
エチオピアの主要部族。北部のエリトリア地方に住むティグリニヤ族などとともにアビシニア人と呼ばれていた。それは,ともに古アクスム王国の主要な住民ハバシャ(アビシニアの語源)の子孫だからであるが,アビシニアという語は現在ほとんど使われなくなった。アムハラ族は母語をアムハリニヤ,ティグリニヤ族はハバシャとそれぞれ呼んでおり,両者の基礎語彙は56%も共通している。ともにアフロ・アジア語族のエチオ・セム系言語に属し,古代ゲーズ語に由来する。今日のエチオピアでは,アムハラ語(アムハリニヤ)が公用語である。部族別人口統計はないが,1971年の地域別人口統計から類推すると,アムハラ族の人口は約700万人に達すると思われる。そのおもな居住域は,青ナイルの上流タナ湖周辺から首都アジス・アベバにおよぶエチオピアの中央高地を広範囲に占めている。その大半が標高2000~3000mに位置し,年降水量は1000~1500mm,年平均気温は15~18℃と年中あまり変わることのない気候である。
アムハラ族の先祖であるセム系の人々が南アラビアから紅海を横切ってエチオピア北部に移住してきたのはかなり古く,前10世紀以前にさかのぼるものと思われる。エチオピアの旧皇室の系譜をさぐるのにしばしばソロモン王とシバの女王の伝承が語られてきたのも,当時のアラビア半島との頻繁な往来を暗示している。のちにアクスム王国が形成され,アラブやギリシア,ローマとの交易を背景に栄えたが,570年ペルシア軍によって滅ぼされた。その後,資料のほとんど欠落した暗黒時代が続き,ソロモン王朝が再興された13世紀に入って新たな歴史時代を迎えた。以後,ティグリニヤ出身のヨハネス4世(在位1872-89)を除いて皇帝はすべてアムハラ族の出身であった。19世紀末メネリク2世が現エチオピアを統一して以後,アムハラ族は各地方に地主として残った。こうした大地主に支えられたアムハラ族中心の政治は,1974年の革命によって衰退するが,アムハラ文化はほとんど全国に浸透した。
エチオピアでは,キリスト教が4世紀の中ごろ伝わり,アクスム王国の国教となった。エチオピア正教会は,〈渾然一体〉の神学として独自の道を歩み続けている。衣食の面では,シャンマと呼ばれる綿製のショールや,独特の食事インジェラが一般化している。インジェラは,テフという日本のニワホコリ(イネ科)の仲間を原料とし,その練粉を発酵させて薄く焼いたものである。これに肉やレンズマメなどと多様な香辛料を加えてつくったワットと呼ばれるカレー状の副食をつけて食べる。また,ゲショ(クロウメモドキ科)をホップのように加えてつくるビール(タラ)や蜂蜜ワイン(タジ)といった伝統的なアルコール飲料も発達している。家畜として牛,馬,羊,ヤギ,ロバを利用し,穀物はテフをはじめ,大麦,小麦,トウモロコシなどを栽培している。伝統的に犂を使用し,ソラマメ,ヒヨコマメ,レンズマメおよびさまざまな香辛料も栽培しており,他の黒アフリカとはかなり異なった独自の農耕文化を形成している。
→エチオピア
執筆者:福井 勝義
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報