ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
アレオパジティカ
Areopagitica
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…また1524年ニュルンベルク帝国議会は検閲に関する最初の規定を作ったが,明白な命令は48年にカール5世が発した勅令(警察法規)だとされている。イギリスでは,1531年ヘンリー8世が聖職者を許可人とする最初の出版許可制度を敷いたが,1世紀余り過ぎた1644年,詩人のJ.ミルトンは《アレオパジティカ》を出版して,検閲制度をはげしく攻撃した。95年イギリス議会は出版許可法を廃止したが,その理由は,制度が有効に機能していないという実際的なものであった。…
…それぞれの立場の者はその主張を簡単な印刷物にして公開の場で論敵を倒し支持者をひろげようとしたのである。ジョン・ミルトンの《アレオパジティカ》(言論の自由論)も,こうした小冊子の一つであり,彼ら〈パンフレット書きpamphleteers〉のなかから18世紀にかけての有力な雑誌・新聞の主筆たちがそだっていった。ダニエル・デフォーやジョナサン・スウィフトも,そもそもは筆力さかんな時論家で,より多く,かつ深く人を動かそうと作家活動に仕事をひろげたものである。…
…しかし,やがて商人層を中心とする新しい市民階級が台頭して政治的・経済的な自由を要求しはじめ,これに信仰の自由を求める宗教改革の動きが加わり,この近代市民革命のなかで言論の自由,出版の自由を求める声が強まった。ミルトンJohn Miltonの《アレオパジティカAreopagitica》(1644)は言論の自由を提唱した先駆的著作とされる。したがってこの時代の新聞は,政治的論議を伝える〈意見新聞opinion paper〉であり,商業的な収支は二義的な問題であった。…
…その卓越した学識のゆえにクロムウェル政府のラテン語秘書官に任命され,対外的および対内的に革命の大義を鼓吹するため,たくさんの論文を発表しつづけた。また彼自身の結婚生活の破綻を契機に一連の離婚論を書き,それに対する弾圧に対抗して言論と出版の自由を主張する《アレオパジティカ》(1644)を世に送ったが,すべては個人的良心の自由という近代市民社会の理念を強調するものであった。これが〈散文時代〉とも呼ぶべき第2期である。…
※「アレオパジティカ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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