アレクサンダル1世(読み)アレクサンダルいっせい(その他表記)Aleksandar I; Alexander Joseph von Battenberg

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アレクサンダル1世」の意味・わかりやすい解説

アレクサンダル1世
アレクサンダルいっせい
Aleksandar I; Alexander Joseph von Battenberg

[生]1857.4.5. ベローナ
[没]1893.10.23. グラーツ
ブルガリア公 (在位 1879~86) 。バッテンベルク侯アレクサンドルとも呼ばれる。ロシア軍に仕官し,露土戦争 (1877~78) に従軍した。この戦争の結果ブルガリア公国が誕生すると,叔父のロシア皇帝アレクサンドル2世の支持を得て 1879年4月にブルガリア公に選ばれたが,アレクサンドル2世の暗殺後まもなく新皇帝アレクサンドル3世の寵を失い,その後ロシアによる内政干渉により両国間の関係も悪化した。 1885年 11月セルビアがオーストリア=ハンガリー帝国の黙認のもとにブルガリアに侵入。ブルガリア軍はこれを撃破したが,セルビア領への反撃ウィーン圧力によって阻止された。これはドイツ系の公に対する不満によるものといわれ,1886年のクーデター退位を余儀なくされた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アレクサンダル1世」の解説

アレクサンダル1世(アレクサンダルいっせい)
Aleksandar I Karadjordjević

1888~1934(在位1921~34)

ユーゴスラヴィア王国の国王。1914年にカラジョルジェヴィチ王朝の父ペータル1世に代わり,セルビア王国の摂政となる。18年に南スラヴの統一国家セルビア人クロアチア人・スロヴェニア人王国が建国されると摂政となり,21年に成人すると国王に即位した。国内のセルビア人とクロアチア人との民族対立の解消を口実として,29年に独裁制を宣言し国名をユーゴスラヴィア王国と改称。34年にフランス訪問中,フランス外相バルトゥーとともにマルセイユウスタシャ一員に暗殺された。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

20世紀西洋人名事典 「アレクサンダル1世」の解説

アレクサンダル1世
Aleksandar Ⅰ・Karadjordjević


1888 - 1934
ユーゴスラビア国籍。
元・ユーゴスラビア国王。
1914年に病気がちな父セルビア国王ペータル1世にかわり、摂政として国務に関与した。’18年に南スラブ族の統一国家「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」の建国を宣言し、’21年に統一国家の国王になったが、国制や民族の対立の中、’29年に議会を解散して国王の独裁を宣言し、国名をユーゴスラビアとした。’34年に亡命クロアチア分離主義者によりマルセイユで暗殺された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「アレクサンダル1世」の解説

アレクサンダル1世

生年月日:1888年12月16日
ユーゴスラヴィア王(1921〜34)
1934年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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