アンジュー(英語表記)Anjou

翻訳|Anjou

改訂新版 世界大百科事典 「アンジュー」の意味・わかりやすい解説

アンジュー
Anjou

フランス西部の旧州名。中心都市はアンジェAngers。東はトゥーレーヌ,西はブルターニュ,南はポアトゥー,北はメーヌと,四つの旧州に隣接。現在のメーヌ・エ・ロアール県を中心に,アンドル・エ・ロアールサルト,マイエンヌの3県の一部を含む地域で,面積約8900km2ロアール川およびその支流のメーヌ川,サルト川,ル・ロアール川流域に位置し,サケやアローズ(ニシン科)の漁獲で知られるほか,温暖な気候を利用して,野菜,果物,花卉の栽培や牛を中心とした牧畜が活発である。地形的にアルモール山塊に属する西部地域は〈黒アンジューAnjou noir〉とよばれ,ロアール川北岸の,スレート用片岩や牧畜で知られるセグレアン地方Ségréenと,南岸の牧畜ならびに亜麻,綿織物で名高いモージュ地方Maugesとから成る。一方,パリ盆地の一部をなす東部地域は〈白アンジューAnjou blanc〉とよばれ,ロアール川北岸の森林地帯ブージョア地方Bougeoisと,ブドウマッシュルームの栽培が盛んな南岸のソーミュロア地方Saumuroisに分かれる。やや甘口のロゼのワインで知られるアンジュー地方のブドウの栽培は,ソーミュールの丘とレイヨンの丘を中心とした,栽培面積約3万haのこのソーミュロア地方が主で,全体の5分の4を占めている。生産されるワインは,いわゆる〈アンジューのロゼrosé d'Anjou〉のほか,辛口の白,発泡性の白,赤がある。

 古くから辺境における戦略上の要地であったこの地は,まずケルト族のアンデカビ族が定住,次いで古代ローマの植民地となり,フランク王ギルデリクが征服。後にアンジュー伯爵領とメーヌ川左岸のウートル・メーヌ伯爵領とに分かれた。9世紀に興された初代アンジュー家の第11代にあたるジョフロア5世は,帽子にいつもエニシダgenêtの枝をさしていたためプラントジュネPlântegenêtとよばれたが,イギリス国王ヘンリー1世の娘と結婚。1154年,息子のアンリがイギリス国王ヘンリー2世として即位。ここにプランタジネット朝が創始され,アンジュー地方もイギリス領となった。1205年には,フランス王フィリップ・オーギュストがこの地方を制圧。26年,フランス王ルイ8世が息子のシャルルにアンジューとメーヌ両地方を与え,第2代のアンジュー家が誕生。1328年,バロア家フィリップ6世が王位に就くとともに王領に編入。60年ジャン2世が再び公爵領としたあと,1480年ルネ・ダンジュー王の死により,81年ルイ11世が王領に併合。ここに最終的にフランス王領となった。1560年から98年にかけて宗教戦争の渦に巻きこまれて荒廃するが,その前後の15・16,17・18世紀にアンジュー地方は全盛期を迎えた。1793年にはバンデ地方の暴動が波及し,戦場となった。15世紀の名君ルネ・ダンジューは自ら文人として多彩な活躍をしたばかりでなく,多くの芸術家,作家を庇護し,文芸の振興に努め,文化の中心としての伝統は,16世紀のラブレーロンサール,あるいはアンジュー地方の甘美さをたたえたデュ・ベレーラに受け継がれた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アンジュー」の意味・わかりやすい解説

アンジュー
あんじゅー
Anjou

フランス西部の歴史的地方、旧州名。主としてメーヌ・エ・ロアール県に相当する。旧州都のアンジェ付近でいくつもの河川が合流し、マイエンヌ川、サルト川は合流してメーヌ川になり、さらにロアール川に流れ込む。主要道路はこれらの河谷に沿っている。西部は湿潤気候を利用した牧草栽培による牧畜が盛んであり、東部はブドウをはじめ果樹、野菜、花卉(かき)栽培が卓越する。アンジェは商工業の中心地である。

[高橋伸夫]

歴史

1世紀の初めごろからケルト人が植民し、ローマ帝国の支配を受けたが、フランク人によって征服された。9世紀に入ってカペー家の祖先ロベール・ル・フォールRobert le Fort(?―866)がノルマン人の侵入を撃退し、870年伯領となり、アンジェルジェが第一アンジュー家(870~1205)を創始した。この家から、イギリスのプランタジネット朝(1154~1485)が生まれ、イギリス国王がアンジュー伯領を支配した時代(1154~1203)もあったが、1203年フランス国王フィリップ2世は、封建法上の手続によって、イギリス国王ジョン(欠地王)の手から奪回することに成功した。1226年、フランス国王ルイ8世は王子シャルル(1世)にアンジューとメーヌを譲渡したが、その後、バロア家のフィリップ6世が王領地に併合(1328)、ついでジャン2世(善良王)の第2子ルイの公領となった。1482年、国王ルイ11世はふたたび王領地に併合し、その後変わるところはなかった。アンジュー公という称号は16世紀以降も血統親王に付与され、アンリ2世、ルイ14世の王子たちにその例をみることができる。

[志垣嘉夫]

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百科事典マイペディア 「アンジュー」の意味・わかりやすい解説

アンジュー[家]【アンジュー】

中世のフランス西部アンジュー地方に発した名家の呼名で,主として二つの家系がある。一つは,カペー朝と争い,姻戚関係からイングランド王位を得て1154年プランタジネット朝を開いた家系。いま一つは,1246年にカペー朝からこの地に封じられたシャルル・ダンジューCharles d'Anjou伯に始まる家系で,シャルルは教皇の要請を受けて南イタリアに進出して1266年シチリア王国の王位についた。1282年〈シチリアの晩鐘〉でシチリアを失うが,以後も同家は南イタリアを支配し,1435年までシチリア(ナポリ)王を出してギベリン(教皇派)の中心だった。また同家はハンガリー王家と婚姻関係を結び,3代のハンガリー王を輩出した。
→関連項目イギリスナポリ王国

アンジュー

フランス西部,ロアール川下流,マイエンヌ,サルト川の合流点を中心とする地方。旧州名。気候温和な農業地帯。ブドウ栽培地で,アンジューのロゼワインは有名。少量の鉄,スレートが採掘される。野菜・果物栽培,牧畜も行われる。古来民族移動の戦略要地だった。アンジュー伯領。一時英領,百年戦争の戦場となって疲弊し,1480年最終的に仏領。フランス革命のとき反革命の中心地であった。
→関連項目アンジュー[家]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アンジュー」の意味・わかりやすい解説

アンジュー
Anjou

フランス西部の地方。旧州。中心都市はアンジェ。メーヌエロアール県の大部分,およびアンドルエロアール県,マイエンヌ県,サルト県の各一部が含まれる。パリ盆地とアルモリカ地塊にはさまれ,ロアール川 Loireとその3つの支流 (マイエンヌ,サルト,ロアール川 Loir) が流れる肥沃な河川流域地帯で,温和な気候と相まって,果物,野菜,苗木などを産出し,特に白ワインは名高い。鉄鉱石,スレート片岩の採掘でも有名。この豊かな農業地帯は9世紀末以来アンジュー家の領有となり,1203年国王フィリップ2世によって王領に併合され,以来アパナージュ (国王親族封) としてカペー王家一族に授封されたが,1481年ルイ 11世のときに国王直轄領となった。ユグノー戦争 (1562~98) 中は最も被害の大きかった地域。フロンドの乱の際には J.マザランに対し反乱を起した地方であり (1652) ,フランス革命では反革命のバンデーの反乱を起し,J.クレーベル将軍に鎮圧された (1793) 。

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