コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

アンドロポフ(英語表記)Andropov, Yurii Vladimirovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アンドロポフ
Andropov, Yurii Vladimirovich

[生]1914.6.15. ナグツカヤ
[没]1984.2.9. モスクワ
ソ連の政治家。水運技術学校卒業。 1939年共産党に入党。 54~57年ハンガリー駐在大使をつとめ,56年のハンガリー事件を体験した。のち党中央委員会の社会主義諸国党関係部長,中ソ会談代表を歴任。 67年党政治局員候補,国家保安委員会議長に就任。反体制派の弾圧,サハロフの流刑などを実行した。 73年政治局員。 82年書記長に就任後,ブレジネフ時代に蓄積された停滞と腐敗の一掃,労働規律の強化に乗出した。就任半年後に病気になり十分な成果をあげられなかったが,その考えの一部はゴルバチョフに引継がれた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アンドロポフ
あんどろぽふ
Юрий Владимирович Андропов Yuriy Vladimirovich Andropov
(1914―1984)

ソ連の政治家。南ロシアのスタブロポリの鉄道員の家庭に生まれる。1936年水運技術専門学校を卒業。以後コムソモール(共産主義青年同盟)で活躍し、1939年共産党入党、1940年にはカレリアのコムソモール第一書記。独ソ戦が始まるとカレリアでパルチザン活動に入り、1944年にその首都ペトロザボーツクが解放されたのちは同市での党活動に移る。1947年にはカレリア党の第二書記、1951年には党中央に移り、その後1953~1957年にはハンガリーに駐在。1956年のハンガリー動乱時には大使を務めていた。1957年から党中央委員会の社会主義諸国共産党・労働者党連絡部長となり、中ソ論争に深いかかわりをもつ。第22回党大会(1961)以降党中央委員、また1962年から書記局員(~1967)。1967年から国家保安委員会(KGB)議長で政治局員候補、1973年政治局員。1982年5月には書記局員も兼ねたためKGB議長は辞任。1982年11月、ブレジネフ書記長死去の後を受けて書記長に就任、1983年6月にはソ連最高会議幹部会議長を兼任したが、翌1984年2月9日死去した。[藤本和貴夫]
『ジョレス・メドベージェフ著、毎日新聞社外信部訳『アンドロポフ』(1983・毎日新聞社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

RE100

2014年に国際環境NGO「The Climate Group」が開始した国際的な企業連合。業務に使用する電力の100%を再生可能エネルギーに転換することを目的としている。認定を受けるためには、「企業...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

アンドロポフの関連情報