アービング(英語表記)Washington Irving

精選版 日本国語大辞典 「アービング」の意味・読み・例文・類語

アービング

(Washington Irving ワシントン━) アメリカの作家。短編小説と随筆を集めた代表作「スケッチ‐ブック」で知られる。(一七八三‐一八五九

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「アービング」の意味・読み・例文・類語

アービング(Washington Irving)

[1783~1859]米国の随筆家小説家。代表作「スケッチブック」。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「アービング」の意味・わかりやすい解説

アービング
Washington Irving
生没年:1783-1859

アメリカの小説家,随筆家。ニューヨーク市出身。10代ですでに文才を示したが,ユーモラスな《ニューヨーク史》(1809)で認められた。商用で1815年渡英,以後17年間ヨーロッパに滞在,その間ウォルター・スコットらイギリスの文人を知る。《スケッチ・ブック》(1819-20)により,アメリカの作家で初めて国外で名声をえた。続いて《ブレースブリッジ邸》(1822),《ある旅人の物語集》(1824)を出版。26年から3年間スペインのアメリカ公使館に勤務。10年ほど本国ですごした後42年から4年間スペイン公使を務める。スペイン文化に親しんだ成果は〈歴史とロマンスの中間物〉と作者が言う《グラナダ征服記》(1829),異国情緒豊かな《アルハンブラ宮殿物語》(1832)などに結実した。晩年まで健筆は衰えず,オクラホマ地方旅行記《大草原への旅》(1835),《ジョージ・ワシントン伝》5巻(1855-59)などを完成した。

 彼は人間の暗黒面に対する深い洞察力を欠き,政治問題にも無関心だった。しかし時間的・空間的にはるかなものにロマンティックな憧れを抱き,それを典雅な文体で描き絵画的美を生み出した。また神話・伝説のない国アメリカに,ヨーロッパ種の伝説を移植して,リップ・バン・ウィンクルや《スリーピー・ホローの伝説》のイカボッド・クレーンなど,アメリカ神話の原型というべき人物を創造した功績が評価されている。
執筆者:

アービング
Henry Irving
生没年:1838-1905

イギリスの俳優。本名ブロドリブJohn Henry Brodribb。おもに地方を巡演していたが,1871年ロンドンのライシアム劇場で,レオポルド・ルイスのメロドラマ《鐘》に出演して爆発的な人気を得,19世紀末最大の俳優となった。78年からはライシアム劇場の支配人として,歴史的に正確な舞台装置や衣装を使ったシェークスピア劇を数多く上演し,女優エレン・テリーを相手役に得て自ら主役を演じた。芸風は型にはまっていたが,力強い動きによって観客を引きつけた。シェークスピア劇以外には文学的価値の低いメロドラマにもっぱら出演,近代主義者の批判をあびた。95年,俳優としては初めてナイトに叙せられた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アービング」の意味・わかりやすい解説

アービング
Erving, Julius

[生]1950.2.22. ニューヨーク,ルーズベルト
アメリカ合衆国のバスケットボール選手。本名 Julius Winfield Erving II。 1970~80年代のバスケットボール界を最も華やかに彩り,ファンを沸かせた選手の一人。高校時代から頭角を現し,スポーツ奨学金を得てマサチューセッツ大学に進学,1試合平均 20得点以上,リバウンド数 20以上の成績を残した。 1971年アメリカン・バスケットボール・アソシエーション ABAのバージニア・スクワイアーズに入団。2年後にニューヨーク・ネッツに移籍した。 ABA時代の5シーズンに3度リーグ得点王に輝き,1976年に ABAが解体するまでの最後の3年間に,連続で最優秀選手 MVPに選ばれた。また 1974,1976年にはネッツをリーグ優勝に導いた。 ABAが北アメリカのプロバスケットボールリーグ,NBAに吸収されるとフィラデルフィア 76ersに移籍。チームを7年間で4度 NBAファイナルに導き,1983年には優勝を果たした。 1981年にレギュラーシーズン MVPを獲得。史上3人目の NBA通算得点3万点を達成し,1987年現役引退。 1993年ネイスミス記念バスケットボール殿堂入り。

アービング
Irving, Washington

[生]1783.4.3. ニューヨーク
[没]1859.11.28. ニューヨーク,タリタウン
アメリカの作家。短編小説の創始者といわれる。初め法律家を志したが文学に興味を示し,1807年,兄たちと雑誌『サルマガンディ』 Salmagundiを創刊し,寄稿家を装う架空の紳士を登場させて社交界や出世主義者を諷刺し,当時のニューヨーク社会を活写した。この「アメリカ人の手になる最初の偉大な滑稽文学」は 09年,妻の急死により中断された。 15年商用で渡英,事業には失敗したが多くの名作を含む『スケッチ・ブック』 The Sketch Book of Geoffrey Crayon,Gent. (1819~20) でアメリカの作家として初めて国際的名声を得た。その後新しい題材を求めてヨーロッパ各地を遊歴し,『アルハンブラ物語』 The Alhambra (32) などを発表。 32年帰国,42~46年公使としてマドリードに駐在。晩年は伝記に興味をもち,『ジョージ・ワシントン伝』 George Washington (55~59) などを書いた。

アービング
Irving, Sir Henry

[生]1838.2.6. サマセット,キーントンマンデビル
[没]1905.10.13. ヨークシャー,ブラッドフォード
イギリスの俳優。本名 John Henry Brodribb。 1856年初舞台。ロンドンに出て人気を博し,ライシアム劇場の支配人 (1878) となり,女優 E.テリーを相手に演じた多くの役で特に有名。当り役はシェークスピアの『ハムレット』『ベニスの商人』『ロミオとジュリエット』,テニソンの『ベケット』,メロドラマ『鐘』などの主役。芸風はロマンチックで華麗,独創的発想に富む。 95年,俳優として初めてサーの称号を受けた。

アービング
Irving, Aman Edward

[生]1792.8.4. スコットランド,アナン
[没]1834.12.7. グラスゴー
スコットランド教会の牧師。その霊的な説教は多くの聴衆に感銘を与えた。『主の人性についての正統的・公同的教義』 The Orthodox and Catholic Doctrine of our Lord's Human Nature (1830) と題する小冊子において,キリストの人性には罪が伴っていると述べて,長老派教会から異端の宣告を受け,追放された (32) 。キリストの再臨を熱烈に主張したアービング派の中心人物となる。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「アービング」の意味・わかりやすい解説

アービング

米国の作家。技法上の実験性に存在意義がおかれがちな現代アメリカ文学において,伝統的な物語をもった作品群を発表。暴力,セックスなどの現代風俗的要素を大胆に扱いながらも男女の愛や家族といった文学における伝統的な主題を丹念に追求している。《熊を放つ》(1969年),《ウォーターメソッド・マン》(1972年)のあと,映画化されたベストセラー小説《ガープの世界》(1978年)で名声を確立。同じく映画化された《ホテル・ニューハンプシャー》(1981年)以後,バースバーセルミピンチョンらと並ぶポストモダン作家と称されるようになる。
→関連項目フォスター

アービング

英国の俳優。シェークスピアの連続上演により名優とうたわれた。E.A.テリーと一座を組み,英国劇壇の社会的地位と知的水準を高めた。1895年俳優として初めてナイトに叙せられた。
→関連項目バリモア[家]ブース

アービング

米国の作家。長くヨーロッパで暮らし,スペイン公使等になる。《リップ・バン・ウィンクル》を含む《スケッチ・ブック》(1819年―1820年)で米国作家としては初めて世界的に文名を高め,その他にもロマンティシズムを基調とする多くの物語,随筆,伝記等を書く。《ジョージ・ワシントン伝》5巻(1855年―1859年)は晩年の大著。
→関連項目ニッカーボッカーズ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のアービングの言及

【アメリカ文学】より

…C.B.ブラウンは古城などを舞台にしたヨーロッパのゴシック・ロマンスの伝統を踏襲しながら,古城の代りに西部の荒野やインディアンといったアメリカ固有の背景を導入した。W.アービングは《ニッカボッカーのニューヨーク史》(1809)で,歴史をフィクションに移し,《旅人の物語》(1824)では,深刻さを欠き,短編が多くなる末期型のゴシック・ロマンスを発展させ,ホーソーンやポーを先取りした。アメリカのスコットと呼ばれたJ.F.クーパーは五部作《レザーストッキング物語》(1823‐41)において,高貴な開拓者ナティ・バンポーを文明と荒野の接点に置き,アメリカのフロンティアに大ロマンスを展開させた。…

【児童文学】より

…実生活の問題を含んだ題材がガーネットE.Garnettの《袋小路1番地》(1937)からしだいに多く扱われはじめ,60年代のメーンやタウンゼンドJ.R.Townsendにうけつがれ,さらに思春期の少年小説が,ウォルシュJ.P.WalshやペートンK.M.Peytonによって書かれている。
[アメリカ]
 アンデルセンと同じ時代に,アメリカではW.アービングが《リップ・バン・ウィンクル》(1802)を書き,J.F.クーパーがインディアンものを1823‐41年につづけて出し,N.ホーソーンがはっきり子どもをめざして昔の歴史や神話を書きなおしていた。52年のストー夫人の《アンクル・トムの小屋》はむしろ社会的な事件であったが,それよりも65年のドッジ夫人M.M.Dodgeの《ハンス・ブリンカー(銀のスケート靴)》は,児童文学上の事件であった。…

【スケッチ・ブック】より

…アメリカの作家W.アービングが紳士ジェフリー・クレーヨンGeoffrey Crayonの筆名で発表した代表作。1819‐20年分冊出版。…

【リップ・バン・ウィンクル】より

…アメリカの作家W.アービングの《スケッチ・ブック》(1819‐20)に収められた同名の短編の主人公。狩りに出かけたリップはキャッツキル山中で不思議な男たち(イギリス人探検家H.ハドソンとその仲間の幽霊であることがのちにわかる)に出会い,彼らの酒を飲み眠りこむ。…

※「アービング」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android