アメリカの小説家、随筆家。4月3日、富裕な商人の子としてニューヨーク市に生まれる。病弱のため正規の教育を受けず、独学で弁護士の資格をとった。その間、文学に興味をもち、ジョナサン・オールドスタイルの筆名で新聞に評論を寄稿したことが文筆活動に入るきっかけとなった。1804年ヨーロッパを訪れ、2年余り滞在した。帰国後、兄とともに、イギリスの『スペクテーター』誌を模した『サルマガンディ』誌を刊行したり、ニッカーボッカーの筆名で風刺とユーモアを交えた『ニューヨーク史』(1809)を出版したりして、文名を得た。その後、婚約者の死が原因で、しばらく不振な生活を送った。1815年、兄の事業を助けるために渡英し、17年間、海外に滞在することになる。この間イギリスの風物に少年時代からのロマンチックな憧憬(しょうけい)を満足させたり、小説家スコットを訪れたりした。彼の歴史に対する関心、懐古趣味もこの時代に形成された。渡英後3年にして兄の事業が破産し、文筆に頼らざるをえなくなり、34編の物語、随筆を収録した『スケッチ・ブック』(1820)をジェフリー・クレヨンの筆名で出版して、アメリカ最初の国際的作家としての名声を確立した。
続いて『ブレースブリッジ邸(ホール)』(1822)、『一旅行者の物語集』(1824)を発表した。1826年から3年間、スペインのアメリカ公使館に勤務しながら、『コロンブス伝』(1828)、『グラナダ征服』(1829)、『アルハンブラ物語』(1832)を出版。1832年に帰国後、西部開拓にまつわる『大草原の旅』(1832)、『アストリア』(1836)、および、かねてから私淑していたゴールドスミスの『伝記』(1840)などを発表。1842年から約4年間、スペイン公使としてふたたびスペインに赴き、帰国後、かねて計画していた『ワシントン伝』(1855~1859)を刊行した。彼の懐古趣味は、新しい創造を求めたアメリカ文学のなかでは古ぼけたものにみえるが、アメリカ最初の短編小説作家としての地位はいまも揺るぐことはない。1859年11月28日没。
[秋山 健]
『ワシントン・アーヴィング著、吉田甲子太郎訳『スリーピー・ホローの伝説』(新潮文庫)』▽『江間章子訳『アルハンブラ物語』(講談社文庫)』
イギリスの俳優、劇場経営者。1856年初舞台を踏んだが、1871年にロンドンのライシアム劇場で翻案劇『ザ・ベルズ』の主役を演じて大成功、以後30年間イギリス劇壇に君臨した。1878年からはライシアム劇場の経営権も手に入れ、名女優エレン・テリーを相手役にハムレット、シャイロックなどシェークスピアやテニソン劇の役柄で語りぐさとなる名演技を示し、1895年には俳優として初めてのサーの称号を受けた。
スペクタクル尊重と主役優先の活動はしばしば批判の対象になったが、俳優中心時代の最後の巨星といえよう。
[中野里皓史]
アメリカの小説家,随筆家。ニューヨーク市出身。10代ですでに文才を示したが,ユーモラスな《ニューヨーク史》(1809)で認められた。商用で1815年渡英,以後17年間ヨーロッパに滞在,その間ウォルター・スコットらイギリスの文人を知る。《スケッチ・ブック》(1819-20)により,アメリカの作家で初めて国外で名声をえた。続いて《ブレースブリッジ邸》(1822),《ある旅人の物語集》(1824)を出版。26年から3年間スペインのアメリカ公使館に勤務。10年ほど本国ですごした後42年から4年間スペイン公使を務める。スペイン文化に親しんだ成果は〈歴史とロマンスの中間物〉と作者が言う《グラナダ征服記》(1829),異国情緒豊かな《アルハンブラ宮殿物語》(1832)などに結実した。晩年まで健筆は衰えず,オクラホマ地方旅行記《大草原への旅》(1835),《ジョージ・ワシントン伝》5巻(1855-59)などを完成した。
彼は人間の暗黒面に対する深い洞察力を欠き,政治問題にも無関心だった。しかし時間的・空間的にはるかなものにロマンティックな憧れを抱き,それを典雅な文体で描き絵画的美を生み出した。また神話・伝説のない国アメリカに,ヨーロッパ種の伝説を移植して,リップ・バン・ウィンクルや《スリーピー・ホローの伝説》のイカボッド・クレーンなど,アメリカ神話の原型というべき人物を創造した功績が評価されている。
執筆者:島田 太郎
イギリスの俳優。本名ブロドリブJohn Henry Brodribb。おもに地方を巡演していたが,1871年ロンドンのライシアム劇場で,レオポルド・ルイスのメロドラマ《鐘》に出演して爆発的な人気を得,19世紀末最大の俳優となった。78年からはライシアム劇場の支配人として,歴史的に正確な舞台装置や衣装を使ったシェークスピア劇を数多く上演し,女優エレン・テリーを相手役に得て自ら主役を演じた。芸風は型にはまっていたが,力強い動きによって観客を引きつけた。シェークスピア劇以外には文学的価値の低いメロドラマにもっぱら出演,近代主義者の批判をあびた。95年,俳優としては初めてナイトに叙せられた。
執筆者:喜志 哲雄
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…C.B.ブラウンは古城などを舞台にしたヨーロッパのゴシック・ロマンスの伝統を踏襲しながら,古城の代りに西部の荒野やインディアンといったアメリカ固有の背景を導入した。W.アービングは《ニッカボッカーのニューヨーク史》(1809)で,歴史をフィクションに移し,《旅人の物語》(1824)では,深刻さを欠き,短編が多くなる末期型のゴシック・ロマンスを発展させ,ホーソーンやポーを先取りした。アメリカのスコットと呼ばれたJ.F.クーパーは五部作《レザーストッキング物語》(1823‐41)において,高貴な開拓者ナティ・バンポーを文明と荒野の接点に置き,アメリカのフロンティアに大ロマンスを展開させた。…
…実生活の問題を含んだ題材がガーネットE.Garnettの《袋小路1番地》(1937)からしだいに多く扱われはじめ,60年代のメーンやタウンゼンドJ.R.Townsendにうけつがれ,さらに思春期の少年小説が,ウォルシュJ.P.WalshやペートンK.M.Peytonによって書かれている。
[アメリカ]
アンデルセンと同じ時代に,アメリカではW.アービングが《リップ・バン・ウィンクル》(1802)を書き,J.F.クーパーがインディアンものを1823‐41年につづけて出し,N.ホーソーンがはっきり子どもをめざして昔の歴史や神話を書きなおしていた。52年のストー夫人の《アンクル・トムの小屋》はむしろ社会的な事件であったが,それよりも65年のドッジ夫人M.M.Dodgeの《ハンス・ブリンカー(銀のスケート靴)》は,児童文学上の事件であった。…
…アメリカの作家W.アービングが紳士ジェフリー・クレーヨンGeoffrey Crayonの筆名で発表した代表作。1819‐20年分冊出版。…
…アメリカの作家W.アービングの《スケッチ・ブック》(1819‐20)に収められた同名の短編の主人公。狩りに出かけたリップはキャッツキル山中で不思議な男たち(イギリス人探検家H.ハドソンとその仲間の幽霊であることがのちにわかる)に出会い,彼らの酒を飲み眠りこむ。…
※「アービング」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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