デジタル大辞泉
「アーヘン大聖堂」の意味・読み・例文・類語
アーヘン‐だいせいどう〔‐ダイセイダウ〕【アーヘン大聖堂】
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アーヘン大聖堂
あーへんだいせいどう
das Aachener Münster
ドイツのアーヘンにあるカロリング朝時代に造営された宮殿の付属礼拝堂。1978年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。アーヘンはフランス語でエクス・ラ・シャペルともよばれ、794年にカール大帝(フランス名シャルルマーニュ)が宮廷を構えた町である。現在のカテドラルは、796年から805年に建造されたカール大帝の宮廷付属教会(バシリカ・パラティナ)であった八角堂と、1355年から1414年建造のゴシック様式の内陣部からなる。とくに、円蓋(えんがい)をかぶせた八角堂教会はカロリング朝美術の代表的建築で、宮廷礼拝堂(カペッラ・パラティナ)ともよばれている。ビザンティン建築様式に倣って、集中式建築の八角堂に大円蓋をかぶせ、2階周歩廊の中央にはカール大帝の玉座が置かれた。円蓋を装飾していたモザイク壁画は失われてしまった。このバシリカ・パラティナと長い廊下によって結ばれていたカール大帝の宮殿の一部は、現在アーヘン市庁舎となって残されている。
[名取四郎]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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「アーヘン大聖堂」の意味・わかりやすい解説
アーヘン大聖堂【アーヘンだいせいどう】
カロリング時代,カール1世によってドイツのアーヘンに造営された王宮付属の大礼拝堂兼王廟。798年オド・フォン・メッツの指揮下に起工され,805年献堂式をあげた。ラベンナのサン・ビターレ聖堂に範をとった八角集中式プランを中核とし,のちゴシック様式による内陣などが増築された。歴代ドイツ皇帝が戴冠式を行った聖堂であり,付属宝物館は《ロタールの十字架》ほかのコレクションで知られる。1978年世界文化遺産に登録。
→関連項目カロリング・ルネサンス
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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「アーヘン大聖堂」の解説
アーヘンだいせいどう【アーヘン大聖堂】
1978年に登録された世界遺産(文化遺産)。アーヘンはドイツ西部、ベルギーにほど近いノルトライン・ヴェストファーレン州にある町。この地にある大聖堂は「皇帝の大聖堂」とも呼ばれ、フランク王国のカール大帝が805年に完成させた宮廷礼拝堂を起源とする。814年の没後、カール大帝は大聖堂に埋葬され遺骨が納められた。936~1531年の間に神聖ローマ帝国の歴代皇帝30人が戴冠式を行った聖堂である。たくさんの巡礼者が訪れるため大ホールが増築されるなど、整備も行われてきた。ドイツ最古の宮殿教会で、北ヨーロッパ最大のドーム建築であったこと、1000年以上の歴史を経て洗練されてきた建造物は、ロマネスク様式とゴシック様式を融合した様式美を備えていること、などが評価され、世界遺産に登録された。◇英名はAachen Cathedral
出典 講談社世界遺産詳解について 情報
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アーヘン大聖堂
アーヘンだいせいどう
Aachener Münster
カロリング朝のフランク王カルル1世がアーヘンに建てた宮廷付属礼拝堂。 796年着工,805年献堂。建築家はメッツのオドー。ノルマン人の侵略後一部修理,再建 (983) 。その後ゴシック期,19世紀にも修理。ラベンナのサン・ビターレ聖堂に範をとる八角集中式建築の中央部がカロリング朝のもので,同時代の建築を代表する。歴代のドイツ皇帝,神聖ローマ帝国の皇帝の戴冠式はここで行なわれた。堂内の青銅大燭台は 1165年フリードリヒ1世の奉献。堂内宝庫には多くの中世の写本,金属工芸が保存されている。 1978年世界遺産の文化遺産に登録。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のアーヘン大聖堂の言及
【アーヘン】より
…第2次世界大戦でも65%におよぶ戦災を蒙っている。【魚住 昌良】
[アーヘン大聖堂]
カール大帝の古代文化復興政策による[カロリング・ルネサンス]の一大記念碑である。800年ころ完成。…
【カロリング朝美術】より
…カロリング朝が支配したフランク王国で,8世紀後半から9世紀末にかけて栄えた美術。[カロリング・ルネサンス]とよばれる古代文化復興運動は特に,カール大帝が戴冠した800年ころより急激に美術の分野にも及んだ。伝統的にゲルマン人は抽象的な芸術感覚をもち,装飾にはおもに幾何学文を用いていた。当時イタリア北部を含むヨーロッパ大陸北部には,抽象文が主であるが人像表現ももつアイルランド系美術の影響が既に浸透して,先立つメロビング朝絵画には抽象文のほか若干の人物像も登場する。…
※「アーヘン大聖堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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