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アーリヤ人 アーリヤじん

百科事典マイペディアの解説

アーリヤ人【アーリヤじん】

アーリアとも。広義にはインド・ヨーロッパ語族をさす。狭義にはその支派で,古く中央アジアに住んでいたが,後にインドに入りアーリヤ系インド文化の土台を築いたインド・アーリヤ系と,イラン地方に入りペルシア帝国を築くことになった種族をさす(インド・イラン語派)。
→関連項目サンスクリットドラビダローゼンベルク

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世界大百科事典 第2版の解説

アーリヤじん【アーリヤ人 Āryan】

インド・ヨーロッパ語族に属する言語を話し,インドやイランに定住した人々をさす。アーリヤは〈高貴の〉という意味のことばで,彼らの自称である。イランという国名はその複数所有格から生まれた。アーリヤ人の言語は19世紀以来精緻に研究され,今日の通説によれば,アーリヤ人はかつて中央アジアで遊牧生活をおこなっていたが,前2千年紀に入ると南に移動したという。その一部はイラン北東部に進み,アフガニスタンをへて,前1500年ごろにインド北西部に移住した。

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世界大百科事典内のアーリヤ人の言及

【アンチ・セミティズム】より

…加えて,新たに起こった人種論がユダヤ人概念を固定化した。 19世紀半ば以降現れた人種論は,元来言語学上の概念として生まれたセム語族を借用して,これをセム人とし,同じくアーリヤ語族をアーリヤ人あるいはゲルマン人と呼んで,セム人の対極をなす人種として固定化するようになった。1870年代ドイツに起こった反ユダヤ主義運動は,ユダヤ人=セム人という前提から,みずからアンチ・セミティズムと称し,人種としてのユダヤ人すなわちセム人を差別し排撃した。…

【インド】より

…他の諸宗教の人口分布が地域的にほぼ限定されたまとまりをもつのに対し,ヒンドゥー教はインドの全域にわたる広がりをもっている。ヒンドゥー教とは,侵入民族であるアーリヤ人が定着して社会の上層階級として統治を進める過程で,彼らの宗教形式と先住民族のそれとが融合されてしだいに形成されたもので,人びとの生活様式の全般にわたって規制をする点に特色がある。この意味で,ヒンドゥー教は言語,人種などを異にする多様な社会集団の文化にひとつの特色ある統一性を付与している。…

【ウマ(馬)】より

…現在,俗に野生馬といわれているフランスのカマルグ,メキシコのムスタング,南アメリカのシメロンなどは家畜ウマが放たれて再び野にかえった再野生馬である。ウマの家畜化はウシ,ヒツジよりもおくれて前3000年ころ,中央アジアの高原地帯でアーリヤ人の手によって行われたと考えられているが,異説もあり確定していない。
【品種】
 ウマの品種はその成立によって東洋種と西洋種に,用途によって乗馬,輓馬(ばんば),駄馬(だば)に,体格によって重種,中間種,軽種に,血統により純血種,半血種にと区分されるが,日本では外来種を体格による3区分に分け,これに在来種を加えた四つに分類している。…

【村】より

…今日なおインドの人々の8割余がその数55万強のむらに居住し,そのうち7割弱のむらは人口500人以下である。
[むらを中心とする古代社会]
 前1500年ころパンジャーブ地方へ移住してきたインド・アーリヤ人の集団は,500年ほどかけてガンガー(ガンジス)中流域に進出し,そこに農業を中心とする部族社会を形成した。この部族社会はマガダ王国を生み,その発展がマウリヤ帝国としてインドにほぼ統一的支配を及ぼし,これに伴って中央の先進的な文化がインド各地に伝播し,各地域の社会的・経済的発展を促進し,しだいに各地域がそうした文化を受容しつつ独自の社会と文化を発展させた。…

※「アーリヤ人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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