改訂新版 世界大百科事典 「バラモン」の意味・わかりやすい解説
バラモン
インドのバルナ(種姓)制度で最高位の司祭階級。サンスクリットのブラーフマナbrāhmaṇaの音写〈婆羅門(ばらもん)〉による。英語ではブラーマンBrahman,ブラーミンBrahminなどとも呼ばれる。語源はベーダ聖典の言葉のもつ神秘的な力〈ブラフマン〉である。言葉のもつこの力により祭祀の目的を成就させる者がブラーフマナと呼ばれ,さらに司祭階級一般の呼称となった。ブラーフマナすなわちバラモンは,祭式の執行と学問の教授を本来の職業とし,カースト社会の最高位を占め,インドの宗教,思想,学術の発達とその維持に大きな役割を果たしてきた。また純血を貴び,内婚規制(バラモン・バルナの内部で通婚する)とゴートラ外婚規制(伝説上の祖先を共有する家の間の通婚が禁じられる)とを厳守する。なお,バラモン・バルナ所属者のなかには,官職や農業,商業などに従事する者も多い。
アーリヤ人が部族を単位とする生活を送っていた前期ベーダ時代に,すでに司祭職は世襲される傾向がみられた。アーリヤ人がガンガー(ガンジス)上流域(ドアーブDoāb)に進出し農耕社会を完成させた後期ベーダ時代に,祭式の重要性はいっそう高まったが,この時代に司祭階級は祭式を複雑に発達させてこれを独占し,〈人間の姿をした神〉とまで主張するにいたった。そして内婚規制を強めて排他的集団を形成し,4バルナの第1の地位を獲得した。この過程でバラモンとクシャトリヤの間に最高位をめぐる争いもあったが,大局的にみると,前者が後者の統治権の正統性を宗教的に承認し,後者が前者を物質的に支えるという相互依存関係により,双方とも特権的身分を得ている。
バラモンの指導する祭式万能主義の宗教はバラモン教と呼ばれる。ドアーブ地方に成立したバラモン教は,アーリヤ文化の伝播に伴って周辺の地に伝わり,その結果,先住民のアーリヤ化が進行した。周縁部では先住民や混血者のなかに,ベーダの祭式を学びみずからバラモンと称する者も出た。ドアーブ地方のバラモンがマガダをはじめとする遠隔地のバラモンを〈名前だけのバラモン〉と呼んで蔑視する理由はここにある。仏教やジャイナ教が興り発展すると,バラモン教は後退を余儀なくされたが,文化の指導者,社会秩序の維持者としてのバラモンの地位は揺るがなかった。またバラモンは,新宗教の攻勢に対し,非アーリヤ的な神々や信仰形態を受容することによって,大衆の支持を得ることに成功した。こうした宗教的融合の結果,ヒンドゥー教の成立をみた。またバラモンは,はじめ自己の指導する宗教から第4バルナのシュードラを除外していたが,農民大衆をシュードラとみる傾向が一般化するとともに,シュードラ差別を改め,彼らのために祭式を挙行するようになった。バラモンはこのようにして,自己と自己の宗教とを変質させることにより,仏教など批判派との争いに勝ち,ヒンドゥー教社会のなかで司祭者としての地位と特権を守り続けた。
バラモンが,カースト社会の秩序の維持者として果たした役割は大きかった。諸国の王が彼らに土地や村落を寄進したのは,宗教上の功徳を得るだけのためではなく,住民に対して大きな影響力をもつ彼らが,地域社会の秩序化,安定化のうえに果たす役割に期待したからである。イスラム教徒の勢力やイギリスの支配下にあっても,バラモンは村落社会を中心に自己の地位を保持した。植民地時代のインドで英語教育を受けた役人,弁護士,教育者になった者のなかに,バラモンの占める割合は大きかった。また民族運動の指導者のなかにもバラモンの出身が多い。しかし,インド社会の近代化とともに,バラモンの宗教的・社会的指導に対する批判も強くなった。彼らが伝統的に保持し続けてきた地位と特権は,今日急速に失われつつある。
→バルナ
執筆者:山崎 元一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報