ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イギリス国会議事堂」の意味・わかりやすい解説
イギリス国会議事堂
イギリスこっかいぎじどう
British Houses of Parliament
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ロンドンのテムズ河畔にあるビクトリア朝最初の大規模建築で,ゴシック・リバイバルの代表作。16世紀以来国会の議場に用いられてきたウェストミンスター宮殿が1834年焼失したので,〈ゴシックまたはエリザベス朝様式〉という条件で設計を公募して建設されたもの。当時は〈ウェストミンスター新宮殿〉と呼ばれた。設計者はバリー。細部の設計はピュージンによる。40年起工,60年までに主要部分が完成。屋根の小屋組みは鉄骨造,空調設備も設けられた近代的建築であった。時計塔(高さ約100m)内の大時鐘(直径2.8m,重さが13.5t)は,大男の工事責任者ホールBenjamin Hallの愛称をとって〈ビッグ・ベンBig Ben〉と名付けられた。議事堂は第2次大戦で破壊されたが,この議場こそ議会精神の体現であるという首相W.チャーチルの演説によって,旧状どおりに復元された。
執筆者:鈴木 博之
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[近代]
19世紀のゴシック・リバイバルにおいて,塔のイメージが蘇生する。イギリス国会議事堂(バリー,ピュージン設計,1836‐61)はゴシック様式の世俗建築への適用例であり,時計塔は高さ97m,ビクトリア塔は110mに達する。同議事堂に見られるように,鐘塔にかわって時計台という塔が生まれるのも,近代の特徴である。…
…イギリスの建築家。イギリス国会議事堂の設計で知られる。ロンドンに生まれ,グランド・ツアー(1817‐20)後しばらくは,セント・ピーター教会(ブライトン,1826)などゴシック様式による聖堂を建て,その正確な様式復元はゴシック・リバイバルの先駆となった。…
…中世主義を信奉し宗教的観点に立ち,《対比Contrasts》(1836)などの著書で,古典主義を厳しく批判しつつ,ゴシック様式を提唱し,実際にセント・ジャイルズ教会(スタフォードシャー,1846)をはじめ多くのカトリック聖堂を設計。バリーとの協同によるイギリス国会議事堂の設計競争(1836)では後期ゴシック風の意匠全般の設計を担当して,1等入選に大きく貢献した。【星 和彦】。…
※「イギリス国会議事堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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