百科事典マイペディア「イザーク」の解説
イザーク
→関連項目ウェーベルン
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フランドル楽派の作曲家。1485年から94年まで、メディチ家の保護のもとにフィレンツェの大聖堂および付属洗礼堂でオルガン奏者を務め、97年以後は皇帝マクシミリアン1世に仕え、ウィーン、インスブルックなどで活躍した。1515年にふたたびフィレンツェに行き、同地で没した。盛期フランドル楽派中とくに重要な作曲家で、フランドルの精緻(せいち)な対位法書法を基礎に、イタリア的旋律法、ドイツ風の情感豊かな性格を巧みに融合した音楽を書いた。ミサ曲、モテット、シャンソン、ドイツ多声歌曲、フロットラなど多数の作品を残したが、なかでもミサ固有文を多声化した曲集『コラリス・コンスタンティヌス』はとくに重要である。
[今谷和徳]
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…フランスのシャンソンには粋で洒脱な趣があり,イタリアのマドリガーレ(マドリガル)は文学上のマニエリスムと手を取りあって牧歌的題材の中に様式的洗練を示す。ドイツの多声リートは,野の花のような素朴さの中にロマンティックな憧れを秘め,イザークの4声の歌曲《インスブルックよ,さようなら》などの佳曲を生んだ。これらの多声歌曲と並んで,手近な楽器リュートを伴奏とする歌曲も行われ,イギリスのダウランドによる《流れよ,わが涙》(《涙のパバーヌ》の名でも知られる)のように一世を風靡する曲も現れた。…
…また,イタリアの清澄な和声法,ポリフォニーとホモフォニーの対比効果も重視された。この世代の代表的な作曲家には,イタリアで長く活躍し,楽曲構成法に〈完全な技芸〉を示したジョスカン・デ・プレをはじめとして,イザーク,ピエール・ド・ラ・リューPierre de la Rue(1460ころ‐1518)らがいる。16世紀中ごろまでの第3期はジョスカンの成果の踏襲といえるが,声部数はしだいに増加し,複合唱手法が好まれるようになった。…
※「イザーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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