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イブン・タイミーヤ イブン・タイミーヤ Ibn Taymīyah

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

イブン・タイミーヤ
イブン・タイミーヤ
Ibn Taymīyah

[生]1263. ハッラーン
[没]1328.9.26. カイロ
ハンバル派の法学者。コーランと宗教法を厳格に遵守しつつ神に奉仕することが,その宗教思想の根本である。彼の思想は,神と人間との間に絶対的断絶があるという信念に基づいている。したがって既成の哲学,神秘主義思想が神と人間との交渉もしくは合一の可能性を容認しているという理由で,これらに対して戦闘的に論争を挑んだ。

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百科事典マイペディアの解説

イブン・タイミーヤ

中世のイスラム法学者,神学者。十字軍モンゴルの侵入を受け停滞するイスラム世界を見て,宗教の蘇生を強く訴えた。人間の最高の目的は神への奉仕にあるとし,その基盤をシャリーアイスラム法)の絶対性とその完全な遂行においた。
→関連項目ワッハーブ派

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

イブン・タイミーヤ
いぶんたいみーや
Ibn Taymya, Taq al-Dn Amad
(1263―1328)

中世イスラムの代表的思想家伝統主義的なハンバリー学派の法学者および神学者である。シリアのハッラーンで学者の家に生まれる。モンゴル軍の侵入を避けてダマスカスに移り、そこで教育を受け、のちには教鞭(きょうべん)をとった。彼の活動はシリア、エジプトにまたがり、単なる学究にとどまらず、当時の政治、社会問題に大胆に発言し、論争を巻き起こした。そのためしばしば投獄され、ダマスカスの城塞(じょうさい)に幽閉中死んだ。コーラン、ハディースのテキスト、そして最初期のムスリム(イスラム教徒)の教説を尊重し、後世の、神秘主義者の極端な神人合一論、聖者崇拝、またギリシア思想の影響を受けた人間理性の使用を強調する合理主義的神学を、反イスラム的であると激しく非難した。彼の後世に与えた影響は大きく、ことに18世紀にアラビア半島で起こった復古的改革を目ざすワッハーブ運動の思想的源流となった。[鎌田 繁]

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